汗牛未充棟

読んだ本の感想などを中心に投稿します。Amazonリンクはアフィリエイトの設定がされています。ご承知おきください。

カミツキレイニー『魔女と猟犬』――表紙のインパクトだけじゃない!練りこまれた構成と演出による王道ファンタジー衝撃の開幕!

 2020年10月に刊行されたカミツキレイニーの新作『魔女と猟犬』は、まずその派手な表紙に目が止まります。赤一色の背景にバストアップで描かれた女性は、長い銀髪に、白い✖印が走った真っ赤な瞳、さらには開いた口からマゼンタの舌がとびでていて、一度見たら忘れられないインパクトの強さです。

 専門学校HALのCMで知られる、イラストレータLAMの魅力が詰まっていて、バチバチにキマった表紙ですが、内容の方も負けず劣らず構成や演出が見事にキマった傑作でした。

 

魔女と猟犬 (ガガガ文庫)

魔女と猟犬 (ガガガ文庫)

 

 

 舞台となるのは”火と鉄の国”キャンパスフェローと、隣国の”騎士の国”レーヴェ。小国ながらも武器や防具の輸出で財政を維持していたキャンパスフェローは、いま”竜と魔法の国”アメリによる侵略の危機にあります。

 独占する魔術師の力を背景に迫るアメリアに対し、キャンパスフェローの領主バド・グレースが考えた対抗策は、人々に忌み嫌われる「魔女」を味方に引き入れることでした。魔女とは、生まれながらに魔法が使え、アメリアの管轄外で生きる者たちのこと。そんな魔女の一人が隣国のレーヴェで捕らえられたとの知らせを聞き、バド一行は魔女の引き渡しを求めてレーヴェへと向かいます。

 引き渡しの交渉は事前に済んでいたはずでしたが、そう簡単にはいきません。そもそもレーヴェで捕まった「鏡の魔女」というのは、レーヴェの王妃となるはずだった女性であり、結婚式の日に重臣共々レーヴェ王を虐殺した罪で捕まっているのでした。キャンパスフェローからの取引に商人気質である王弟オムラは応じましたが、騎士団の近衛隊長フィガロは魔女を処刑すべしとして、取引に反対します。

 物語前半は鏡の魔女を中心に、キャンパスフェローと王弟オムラ、そして騎士団という三者の思惑が絡み合い、次々と状況が動いていきます。この展開の早さも映画的で面白いのですが、そのなかで差し込まれる戦闘シーンが非常に動的で素晴らしいのです。

 主人公であり、キャンパスフェローの領主に代々使える暗殺者、通称”黒犬”のロロは、鏡の魔女を護送中の騎士団を襲撃します。走行中の馬車の中で見張りを首尾よく倒したロロでしたが、襲撃を予期していた近衛隊長により、騎馬によって周囲を包囲されてしまいます。そこからの戦闘シーンが、馬車から敵の騎馬に乗り移ったりといった三次元的な動きがふんだんに組み込まれていて、読みごたえがあります。

 その翌日、街中で尾行の気配を感じたロロは尾行者を逆に迎え撃ち、逃げた尾行者を追って、追跡戦が始まります。こちらも走行中の馬車に便乗したり、洗濯紐を使ったり、街中のギミックを利用した動きの大きい派手なものでした。どちらの戦闘ももちろん文章で書かれたものですが、とても映像的で面白かったです。ちなみに護送馬車への襲撃戦では、囚われた元王妃が魔女”ではない”ことが判明し、状況は混沌を極めていきます。

 もう一つ注目したい演出ポイントは、魔術師の登場シーンです。鏡の魔女を裁く魔女裁判のために招聘されたアメリアの魔術師たち。その初登場は食事のシーンでしたが、その雰囲気ははっきり異常です。改造修道服や両目を完全に覆う包帯など異様な服装に身を包み、それぞれが自分の都合で話すために会話は微妙に成立しません。さらには食事のあとにメイドたちが片付けをしようとすると、食器や椅子が半分だけ溶けているという有り様でした。王道といえば王道な演出かもしれませんが、それだけに効果は十分。これから対立するであろう魔術師たちのおぞましさがしっかりと印象づけられます。

 さて、ここまでで物語は約半分。魔女裁判を経て、バトル盛り沢山の怒濤の終盤へと繋がっていきます。鏡の魔女の正体は、バド一行の行く末は、そして一大サーガの幕開けをぜひ読んでいただきたいです。

西尾維新『デリバリールーム』――幸せで、安全な出産をかけたデスゲーム。"新境地すぎる新境地”って本当?

 西尾維新の最新作は、2019年7月刊行の『ヴェールドマン仮説』から約1年ぶりのノンシリーズ作品、『デリバリールーム』

 帯の煽り文句には「わたしは戦う!幸せで、安全な出産のために!!」「儘宮宮子、中学3年生。妊娠6ヶ月。」といったインパクトのある言葉とともに、西尾維新、新境地すぎる新境地。」と大きく書かれています。そろそろ二十周年も見えてくる西尾維新ですが、ここにきて拓かれた新境地とはいったいどのようなものなのでしょうか。

 

デリバリールーム

デリバリールーム

 

 

 テーマが妊娠、かつ主人公が未成年の作品で新境地を拓いたと言われると、まさか社会派!?『14才の母』をやるのか!?とも思ってしまいますが*1、実際は"幸せで、安全な出産"をかけて妊婦たちに様々なゲームで競い合わせるという、西尾維新らしいブラックなエンタメ作品となっています。

 

〇あらすじ

 帯にも書いてある通り、中学3年生にして妊娠6ヶ月という主人公の儘宮宮子は、母と離婚した小説家の父親・秩父佐助と面会し、50万円というお金を要求します。それは「デリバリールーム」への参加料でした。そこに入室した妊婦には、「幸せで安全な出産」が約束されるといいます。

 その「幸せで安全な出産」の権利を求めて、宮子はデリバリールームに集まった訳ありの妊婦たち(現役アイドルや高級な喪服をまとった未亡人など)とデスゲームを繰り広げます。デスゲームといっても敗退したら本当に死んでしまうということではなく、ゲームに一度破れると退室となるというだけですが、そこで行われるゲームは十分に悪趣味なものとなっています。

 例えば、部屋に閉じ込められたプレイヤーが鍵を開けるパスワードを見つけ出す、いわゆる謎解き脱出ゲームも、プレイヤーを胎児に、部屋を子宮に見立てて、「産道ゲーム」と名付けることでおぞましさを増しています。

 果たして宮子はこれらの悪趣味なゲームを勝ち抜いて「幸せで安全な出産」の権利を手に入れることができるのでしょうか。そして15歳で妊娠した宮子が抱える事情とは如何に。

 

〇”新境地すぎる新境地”

 あらすじとしてはこのようになりますが、ここから新境地を感じることはできるでしょうか。例えばデスゲームという形式に注目してみましょう。バトルロワイヤルという点では、ルール無用の能力バトルが展開した『十二対戦』がありました。また、西尾維新が原作を務めた漫画『めだかボックス』では、生徒会チームが委員会連合の用意した数々のゲームをクリアしてゴールを目指すというオリエンテーションのエピソードがありました。その際生徒会は全員でのゴールを目論見ましたが、形式としては今回の『デリバリールーム』に近いものがあるといえるでしょう。やはり、デスゲームという形式でもって新境地というのは難しそうです。

 もちろん「新境地すぎる新境地」という言葉はただの煽り文句であって深い意味はないということもあるでしょう。しかし、私にはやはり「妊娠」というテーマに新境地、新しさがあるように感じます。

 これまでの西尾作品に頻出したテーマとして児童虐待「ネグレクト」といったものがあります。例えば、西尾作品には虐待を受けて育ったキャラクターが多く登場します。一番の有名どころは<物語>シリーズの羽川翼老倉育でしょうか。最新のモンスターシーズンでも児童虐待というテーマは続き、主人公の阿良々木暦は作中で 「児童虐待の専門家」とまで呼ばれています。初期作品でいえば戯言シリーズ哀川潤と3人の父親の関係も、そう捉えられるかもしれません。

 そして何より、児童虐待、ネグレクトを扱った西尾作品といえば、『少女不十分』があります。作家志望の大学生が、とある女子児童の奇行を目撃してしまったところ、その児童に監禁されてしまうという物語ですが、監禁状態でその児童と生活するうちに、彼女の歪な性格と、どう育てられてきたのかが次第に明らかになっていきます。

 このように親に虐待されてきた子供を書き続けてきた西尾維新だからこそ、その次のステップとして、虐待される子供が生まれる前段階の「妊娠」というテーマを取り上げたのではないでしょうか。儘宮宮子もまた、親から不当に扱われていることが中盤で明らかになりますが、そんな彼女も妊娠しているということは、これから生まれてくる子供の親であるということになります。

 宮子が妊娠した経緯はネタバレとなるため伏せますが、一般的で幸せな妊娠とは到底言えるものではなく、だからこそ宮子たちは「デリバリールーム」に入室します。そんな不幸な妊娠から生まれてくる子供たちに虐待や放置ではなく、何を与えることができるのでしょうか。何が彼らの幸せとなるのでしょうか。虐待される子供の立場から苦しみを書くだけでなく、親の立場から子の幸せを考えることが、『デリバリールーム』の新境地なのではないでしょうか。

 

〇『デリバリールーム』と『少女不十分』

 そんな『デリバリールーム』では、『少女不十分』を意識したかのような描写がいくつか見られます。終盤の宮子のセリフに「どんな危うい人間だって幸せになっていい」というものがありますが、それは『少女不十分』で強く語られた「どんなに世間一般から逸脱した人間でも、そのままの自分で幸せになってもいい」というメッセージに通じるものがあります。

 また『デリバリールーム』と『少女不十分』をつなぐ、もう一つの共通点として、著者自身を投影したかのような作家キャラクターの存在があります。(ジャンプでの二回目の連載をまだ諦めていないという台詞がありましたが、果てして……。)

 『少女不十分』では「この本を書くのに、10年かかった」という売り文句がありました。「京都の二十歳」としてデビューした西尾維新も二十周年がそろそろ見えてきます。もしかしたら三十年の節目にも同じようなキャラクターが登場するかもしれません。

*1:嘘です。そんなわけない。

珪素『異修羅Ⅲ 絶息無声禍』感想――ついに始まる六合上覧。がんばれ、ハルゲント!

 人間の剣豪、鳥竜(ワイバーン)の冒険家、森人(エルフ)の術士など、様々な種族・職種の「修羅」たちが「本物の勇者」の座をめぐって激突する『異修羅』。3巻の「絶息無声禍」を読みました。

 

異修羅III 絶息無声禍 (電撃の新文芸)

異修羅III 絶息無声禍 (電撃の新文芸)

  • 作者:珪素
  • 発売日: 2020/08/12
  • メディア: Kindle
 

 

 物語の前半「五節 絶息無声禍」では、勇者に倒されたとされているものの、一向に正体の分からない「本物の魔王」や、その魔王が果てたとされる「最後の地」にまつわる謎が探られるとともに、残る修羅たちが登場します。
 そして後半の「六節 六合上覧Ⅰ」では、勇者を決めるための十六人の修羅たちによるトーナメント戦が始まりました。

 

 以下、ネタバレ感想となりますので、万が一『異修羅』を未読のままこの記事にたどり着いてしまったという方がいらっしゃれば、是非1巻の「新魔王戦争」を手にとってみてください。損はさせませんので。

 

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・全ての敵、シキ

 遂に登場した「本物の魔王」こと”全ての敵、シキ”。『異修羅』の世界観に対してセーラー服というのが、あまりにも異物感があっていいですね。服装からもわかるとおり、シキも「彼方」の世界からの漂流者である「客人」とのこと。

 私は客人がやってくる彼方の世界について、現代日本のような戦争のない比較的平和な世界を想像していました。だからこそ、過度な戦闘力を持つソウジロウのような人物が弾きだされて客人として漂着するのだと。しかし、ソウジロウがユノに語ったことによると、ソウジロウがもといた国は戦争状態にあり、しかもその原因は「相原四季」という人物にあるようです。平和な世界ではなく、戦争が続く過酷な世界だからこそ、ソウジロウやあるいは”黒い音色のカヅキ”のような逸脱した戦闘力をもった修羅が生まれてしまったということかもしれません。

 余談ですが、「シキ」という名前は「四季」つまり「全ての季節」であり、欠けるもののないことを表していて、魔王にふさわしい名前だと思いました。(個人的には森博嗣作品のラスボス的存在、真賀田四季に通じるものがありニヤリとしてしまいます。)

  セーラー服さえ着替えてしまえば見た目は普通の人間と変わらないシキ。こういうキャラクターの怖いところは普通に町中に紛れていて、気づいたら隣にいるかもしれないというところですね。今後再登場するのだとは思いますが、それがどういう形になるのか楽しみです。

 

・集う十六人の修羅たち

 2巻と半分をかけて描かれたプロローグも終わり、とうとう十六名そろった修羅ですが、どうも集った修羅たちとトーナメント登録者の名簿に食い違いがあるようです。

 そのうち第十七卿”赤い紙箋のエレア”が擁立したギルド”日の大樹”首領”灰境のジヴラート”は、”世界詞のキア”の存在を隠しておきたいエレアの目眩ましでしょう。また、”奈落の巣網のゼルジルガ”についてはバックに”黒曜、リナリス”がいることがわかっています。そして”逆理のヒロト”がトーナメント出場枠の2枠を確保して”千一匹目のジギタ・ゾギ”と”移り気なオゾネズマ”を送り込んだため、修羅の一人である”戒心のクウロ”が絡む出場枠がなくなってしまったように思います。さて、クウロは今後どのように活躍するのでしょうか。


・黄都

 戦場となった新興都市や砂漠など、荒涼とした舞台ばかりが描かれてきた『異修羅』でしたが、六合上覧というお祭りを前にして盛り上がりを見せる黄都の描写は作中屈指の華やかさでした。そんな黄都を訪れて、故郷の森とはかけはなれた活気を楽しむ世界詞のキアでしたが、彼女が楽しそうにすればするほど、その先に待ち受けるであろう展開を想像して、勝手に辛くなってしまいます。

  キアを擁立しているエレアの専門は諜報です。トーナメントには代役を立てて、万能の詞術を使うキアを隠し玉として運用する戦術は、いまのところ上手くいっているように思います。ただこの戦術において、素直で純粋すぎるキアの性格だけがミスマッチしているように感じて、不安を感じずにはいられません。正直キアのようなキャラクターは曇らせてなんぼみたいなところもありますが、彼女が幸せな結末を迎えることを祈っています。


・ハルゲントの執着

 ”静寂なるハルゲント”は、自ら擁立した”冬のルクノカ”が、一回戦で”星馳せアルス”と戦えるように”鎹のヒドウ”に迫ります。この場面でのハルゲントとヒドウの舌戦は、圧倒的にヒドウに分があると言わざるを得ないでしょう。大局的な状況把握ができておらず、アルスとの決着にのみ固執するハルゲントのことを、私が十代のときに読んでいたら嫌いになっていたかもしれません。しかし私も社会人になって自身がルールを作る側ではないことを自覚してきた今、どうしてもハルゲントに共感してしまう気持ちがあります。

 そしてハルゲントの要求通り、一回戦の第二試合で鳥竜(ワイバーン)の冒険家”星馳せアルス”と竜(ドラゴン)の凍術士”冬のルクノカ”の対戦が実現します。数々の迷宮を踏破してきたアルスは、生まれながらに持つ3本の腕で様々な武器や魔具を使いこなします。あらゆる道具に適正をもつアルスの実力はルクノカと同じ竜である"燻べのヴィケオン"を圧倒するほどでした。

 しかし対するルクノカはまさに破格の性能を見せつけます。修羅の多くは「〇〇だから強い」「〇〇ができるから強い」というような理由のある強さを誇ります。しかし"冬のルクノカ"に関しては、単純に耐久、敏捷性といった通常のステータスが他を圧倒しており、超常の武器や魔具による攻撃も意に介しません。さらに攻撃に至っては、地形すら変えるような広範囲かつ超強力な凍術を僅か2小節の詠唱で発動します。しかも連続して使用可能という掟破りの性能です。

 アルスの強さをきっと誰よりも信じていたハルゲントだからこそ、ルクノカを擁立するに至ったのでしょうが、結果としてアルスは敗北し、人間の手に負えない修羅が勝ち上がって黄都を脅かしたらどうするんだというヒドウの危惧が正しかったことが証明されてしまいました。自ら擁立した修羅によってアルスを打倒することに成功したハルゲントですが、これが望んでいた結末だとは到底思えません。こうなってしまった以上、ハルゲントにはルクノカを倒すとまではいかなくても無害化し、竜を倒して英雄となるという幼いころの夢を叶えて、アルスに誇れる自分になってほしいです。がんばれ、ハルゲント!

オキシタケヒコ『筺底のエルピス』2~4巻感想

 オキシタケヒコ筺底のエルピス』、第2章「夏の終わり」第3章「廃棄未来」について、読後の余韻が残っているうちに、いくつか感想を書いておこうと思います。
 ネタバレには特に配慮しませんので、ご注意ください。

 

 

〇推しキャラ 一人目  朱鷺川ひかえ

 叶や結の通う十束高校の生徒会長。1巻でも少しだけ登場しましたが、2巻から本格的にストーリーに絡むようになりました。初対面のはずの圭をあからさまに毛嫌いするひかえは、「堅物で男嫌いな生徒会長」という一種記号的なキャラ設定で、登場時はちょっと苦手なキャラクターだなと感じていました。しかし、2巻の中盤でその正体が明らかになります。「いくらなんでも圭のこと嫌いすぎじゃない?」という違和感に明確な理由が与えられる見事な展開でした。

 カモフラージュであるはずの高校生活で生徒会長になってしまうような真面目な少女であるひかえが、式務の務めを果たすべく厳しく育てられ、己を律しながら生きてきたことは想像に難くありません。きっと当主の燈を護り、助けるために多くの研鑽を積んできたのでしょう。

 しかし努力もむなしく、《門部》と当主の燈は、敵組織の襲来によってあっけなく危機に瀕してしまいます。実際のところ外園の諜報活動は一因にすぎなかったとしても、「自分のせいで」「自分が気づけていれば」とひかえは自分自身を呪うのでしょう。

 続く事態はさらにひかえを追い詰めます。《門部》の残党は本拠地を捨てて《I》からの逃走を図りますが、そもそも情報の管理と統治を担う式務の人間であるひかえは、逃走劇においては足手まといでしかありません。そして努力とか研鑽とか、そういったものが全く意味をなさないような、圧倒的な暴力によって大切な友人までも奪われてしまいます。

 徹底的にうちのめされたひかえですが、それでも前を向き進みだします。そして”控”という名が示す、「当主・燈の天眼を移植するための予備の器」という与えられた役割ではなく、”朱鷺川ひかえ”という一人の人間として宿敵エンブリオに立ち向かい、見事に役割を果たすのでした。

 努力家がいくら努力をしてもどうにもならない壁にぶつかったとき、それでも折れずに挑戦すること。無駄を承知で前進を決断する様が胸を打ちます。


〇推しキャラ 二人目  ヒルデ・トールヴァルト

 《I》の柩使いで、《門部》の残党を追う追跡チームの一人。《エース・シャター》率いる”シャターズ・カンパニー”に所属していましたが、カンパニーの解体に伴いバックアップの二人とともにエンブリオの傘下に吸収され、「猟犬」とチームを組むことになった「猟師」です。

 《ティン・ガン》というコードネームを授かりながらも本名を名乗り続けたヒルデ。彼女の芯には、心の雷管を他人に叩かせてはいけないという父の教えがありました。そんなヒルデですが、悪意と欲望のままに動くエンブリオの下についてしまい、理不尽に振り回されることになってしまいます。しかしヒルデの本当の受難はその先にありました。エンブリオのさらに上位から受けた指令は仲間の柩使い(=覚者)たちを殺して回ることだったのです。

 覚者の持つ第二心臓は脳のバックアップ機能を備えています。黒鬼の活動によって人口が激減したとき、この第二心臓をもった覚者の数が相対的に増えてしまうと、殺戮因果連鎖憑依体の標的が人間の脳から第二心臓に移ってしまうかもしれません。それを防ぐためには、人口の減少に合わせて覚者を間引いていかねばならないというのです。(作者の設定の詰め方に驚きます。)

 その役目を任されたのがヒルデでした。特に明言はされていませんでしたが、標的の中にはかつてのカンパニーの仲間たちも当然含まれていたことでしょう。そうであってもヒルデは、「命令だから」と他人に心の雷管を叩かせるのではなく、自分自身の決断で撃ち続けたのだと思います。

 そんなヒルデは最後まで民間人の救助に努め、叶に真実を告げて涙を流します。仲間を撃ち続けてなお、彼女は泣き虫な”そばかすのヒルデ”を捨てずにいられたのでした。それはきっとヒルデという本名と父の教えを錨として持ち続けていたからでしょう。

 エンブリオ含む覚者たちに勝ち続けたという実力も含め、あらゆる意味で”強い” キャラクターだと思います。

 

〇《門部》というパンドラの箱

 そもそも『筺底のエルピス』とは「パンドラの箱」の伝説にちなんでつけられたタイトルでしょう。パンドラの箱が開かれたとき、そこからあらゆる災いと絶望が飛び出して世界を覆いました。今回《門部》というパンドラの箱を開けたのは《I》でした。圭や叶たち《門部》の残党たちにとって状況はあまりにも絶望的でしたが、《門部》陥落によって発生した「人類滅亡が確定した未来」というのは《I》を含むすべての人類に等しく降り注ぐ災いでした。

 しかし、伝説の通り箱の底には一つの希望が残っています。それは、《門部》の残党が本拠地最深部に展開された停時フィールドにたどり着き、ワームホールをくぐって過去に戻ることで、滅亡確定のこの世界線を廃棄するというものです。しかし圭や叶たちにはエンブリオの襲撃をはじめ、あらゆる苦難が降り注ぎます。

 メタ視点で物語の展開を考えると、どのような形であれこの《捨環戦》に《門部》が勝つことは既定路線だったのではないでしょうか。だからこそ物語の最後までカメラは叶に寄り添い続けたのだと思います。「未来を取り戻した!ハッピーエンド!」という締め方ももちろんあったでしょう。しかしそのエルピスは、本当に最後に残った唯一のエルピスであり、1週目の叶はそれ以外のすべてを失ってしまいました。

 私としてはせめてヒルデがついてきてくれたと思ったのですが、過去に錨を降ろして自身の在り方を保ち続けたヒルデは、それだからこそ廃棄される世界を捨てられなかったのだと思います。

 絶望的な状況にハラハラしながらも、心の隅にあった「でもどうせ主人公たちが勝ってすべてを取り戻すんでしょう」という気持ちに、この終盤を突き付けられて、私は完全にノックアウトされました。

 

 

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『筺底のエルピスー絶滅前線ー』オキシタケヒコ――超ド級のSF異能バトル!

 絶対好きなタイプの作品なのに、なかなか読むきっかけがなくて後回しにしている。読書好きならば、そんなシリーズ作品が一つや二つ思い当たるという方も多いのではないでしょうか。私の場合、小川一水『天冥の標』や、瘤久保慎司『錆喰いビスコ』がそれにあたります。 

 オキシタケヒコの『筺底のエルピス』もそんなシリーズの一つだったのですが、既読の方々の熱烈なPRに背中を押されて、ついに1巻を手に取ることができました。

 

 
 物語は、《門部》という組織に所属する二人の封伐員、百刈圭(ももかり けい)と乾叶(いぬい かなえ)が”鬼”を封伐しようとするところから始まります。鬼といっても生物としての鬼を示しているわけではなく、「殺戮因果連鎖憑依体」という異次元の存在に憑依された人間をそのように呼称しています。この憑依体は憑依した人間を殺人に駆り立て、さらには身体を強化し、場合によっては超感覚すら授けます。

 そんな鬼に対して封伐員は「停時フィールド」という特殊な武器で立ち向かいます。この停時フィールドが展開されると、その空間内部の時間が停止し、さらに空間の境界面はあらゆる物質を切断します。

 また、この停時フィールドは封伐員共通の武器ですが、使用者によってフィールドの大きさ、展開できる距離、展開の持続時間などのパラメーターが異なる形で発現します。そのため使用者によってそれぞれ異なった特徴が現れ、固有名がつけられることになります。

 この停時フィールド、百刈圭と乾叶の能力がまったく対照的で面白いですね。百刈圭の《朧筺》は、持続時間が3秒しかない代わりに、大きさも距離も自由自在で、とてもシンプルで分かりやすい能力をもっています。

 一方で乾叶の《蝉丸》は、大きさは日本刀サイズが限界で、手元以外の場所には展開できません。展開と消滅を瞬時に繰り返す《蝉丸》は持続時間も不安定です。あらゆるものを切り裂く刃にはなりますが、それ以外全く応用の利かない不自由さです。そんな二人がコンビを組んで鬼と対峙します。

 彼らの他にも、「まだ1巻なのにそんなトリッキーなやつ出てくるの⁉」と思うような能力者も登場します。個性的な能力は異能バトルものの醍醐味ですね。

 

 特殊な能力で”鬼”を退治するというここまでのあらすじだけを見ると、ジャンプの読み切りとかでよくある退魔系の作品なのかなという感じですが、ここから次々と世界が拡がっていきます。

 先ほどの殺戮因果連続憑依体ですが、異次元の存在であるため、憑依された人間を倒しても憑依体自体には何のダメージもありません。しかも憑依先の人間を殺すと、殺した側の人間に憑依しなおすという厄介な性質を持っています。この憑依体を消滅させるために行うのが、なんと未来の世界へのタイムトラベルなのです。なぜそれで消滅するかのロジックはここでは省きますが、ここでいきなり時間方向に世界観が大きく広がります。

 そして、鬼は世界中に現れるんだから当然世界規模の鬼狩りの組織もあるよね、といった感じで百刈たちとは別の組織の能力者が登場し、作品の世界観が横方向にも大きく広がります。さらにはとある特殊な鬼を巡って、能力者同士の争いへと物語はなだれ込んでいきます。

 

 退魔ものかと思ったら、SF、異能バトルと次々と変わる読み味に翻弄されながら、夢中でページをめくり(スワイプ)ました。

 1巻だけでも十分な面白さでしたが、ここからどんどんと面白くなるとのこと。続きが楽しみです。

 

 

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『マルドゥック・アノニマス5』冲方丁――新たな家族を迎えるバロット。再生の5巻。

 マルドゥックシティという巨大都市を舞台に、能力者たちの闘争を描く『マルドゥック・アノニマス』。5巻ではバロットが、かつての自分を思わせる少女アビゲイルと向き合います。

 

マルドゥック・アノニマス 5 (ハヤカワ文庫JA)
 

 

○前回までのあらすじ

 ハンター率いる<クインテット>は、マルドゥックシティ中のエンハンサー(強化能力者)たちを次々と取り込み、次第に勢力を拡大していた。彼らに対抗するため、ウフコックたちはイースターズオフィスを中心に対抗勢力を組織し、ついに両者は衝突する。双方に甚大な被害を出した闘争だったが、結果的にハンターはイースターたちの手を逃れ、ウフコックがハンターに拉致されるという最悪の結末を迎えた。

 高校の卒業旅行から帰宅した翌日、ことの顛末を聞かされたバロットは、ウフコックの救出を決意し、法学生として大学で学ぶ傍ら、オフィスの調査にも協力するようになる。そして、捜査の過程でハンターの過去に手をかけるのだった。

 また、捜査に関わるなかでバロットは一人の少女と出会う。その少女、アビゲイル・バニーホワイトもまたエンハンサーであり、バロットと近いバックグラウンドを抱えているのであった。


○バロットサイド

 アビーことアビゲイル・バニーホワイトは、ハイスクールで麻薬の売人をしていたときに、客にナイフで刺され、その傷の治療の際にエンハンサーにされてしまった過去を持ちます。アビーに自分の過去を重ねたバロットは、アビーにも自分と同じように生活を保護され学校に通う権利がある、すなわちアビーも救われなければならないと主張します。

 しかしそのように主張する割りには、どこか他人事として接していることをライムに指摘されます。そしてバロットはかつて自分がイースターやウフコックに救われたときのように、バロット自身がアビーを救うことを決意するのでした。

 そうしてバロットはベル・ウィングとともにアビーを家族に迎え入れ、姉妹のような関係を築いていきます。はじめは反発していたアビーが徐々に絆されていく過程が丁寧に書かれており、冲方丁のおくる最高の姉妹百合が堪能できます。

 個人的なハイライトは、バロットが二十歳の誕生日を迎えるシーン。声帯の再生手術を控えたバロットに、アビーは自身の再生の象徴ともいえる品物をバロットに贈ろうとします。”あたしが持ってるものの中で一番大事なものをあげたくて”と言うアビーや、そのことを”自分自身の一部を切り分けて差し出そうとする”という描写に愛情の深さを感じて痺れました。

 そうした経験を経て、バロットはとっくに葬り去ったと思っていた過去の自分を、”正しく”受け入れます。このことこそ、声帯の再生以上に、ルーン・バロット・”フェニックス”の再生を表しているように思いました。

 


○ハンターサイド

 次々とエンハンサーを傘下に引き入れ、<クインテット>を拡大していくハンターは、市長勢力と目される「シザース」と敵対することになります。このシザースは戦闘能力こそありませんが、人格を共有しており、都市のあらゆる組織に潜り込んで物事を裏から操ります。

 そんなシザースからハンターはとある「攻撃」を受けます。一応詳細は伏せますが、言うなれば強力な精神干渉といったところでしょうか。しかも干渉されたという痕跡や前兆もなく、攻撃を受けていることを全く自覚できない類いのものです。もはやご都合主義の超展開でしか対処できないようなクソ能力ですが、これをハンターは自身の共感の能力や、仲間の人格転写能力などを駆使して突破口を開いていきます。

 

 また、これらバロットパート、ハンターパートと並行して展開し、両パートが進行した先にある二度目の激突を描いたウフコック奪還パートでは、<クインテット>傘下の<誓約の銃(ガンズ・オブ・オウス)>に所属するエンハンサーたちが続々と登場し、能力バトルものとしても更なる盛り上がりを見せています。

 

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SFマガジン2020年6月号”英語圏SF受賞作特集”ーー異類婚姻譚(百合)やゲームブックなど多彩なラインナップ!

 コロナ禍の影響で当初の予定より一ヶ月遅れの2020年5月末に発売された「SFマガジン」の2020年6月号は、英語圏SF受賞作特集。ネビュラ賞などの著名な賞を受賞した短編が、合わせて4編掲載されています。

 

SFマガジン 2020年 06 月号

SFマガジン 2020年 06 月号

  • 発売日: 2020/05/25
  • メディア: 雑誌
 

 

 また特集とは別に、6月18日に『三体』の第二巻「黒暗森林」が発売される劉慈欣のデビュー作「鯨歌」も冒頭に掲載されています。こちらは連載となっていて、劉慈欣の選りすぐりの短編が今後も掲載されるようです。いくつか掲載されたら書籍化されるのでしょうか。楽しみです。

 

○劉慈欣「鯨歌」(訳:泊功)

 政府軍に精製工場を押さえられた南米の麻薬王、通称ワーナーおじさんは、再起を図るためどうにか持ち出したヘロイン25トンをどうにかアメリカへ密輸しようと試みます。しかしあらゆる密輸手段はニュートリノ探知機を備えたアメリカ政府に、ことごとく阻まれてしまいます。そんなワーナーおじさんの前に現れた科学者、デイビッド・ホプキンス博士は、鯨を利用した驚きの密輸方法を提案するのでした。

 劉慈欣のデビュー作は鯨SFでした。鯨SFなんて他にあるのかよ、と思うかもしれませんが、最近でも「NOVA 2019年秋号」に高山羽根子の「あざらしが丘」という捕鯨アイドルをテーマにした短編が掲載されています。そしてその「あざらしが丘」の扉裏解説では大森望が鯨SFのタイトルをずらりと並べています。鯨SF、意外とポピュラーなのかもしれません。


○P・ジェリ・クラーク「ジョージ・ワシントンの義歯となった、九本の黒人の歯の知られざる来歴」(訳:佐田千織)

 2019年のネビュラ賞ショート・ストーリー部門受賞作。
 アメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンが、入れ歯の材料として黒人の歯を九本買ったという史実をもとに、それぞれの歯の持ち主の来歴を簡潔に綴る構成になっています。また、当たり前のように人魚が登場したり、魔法が使われたりする、マジック・リアリズムな世界観も特徴です。
 そのような世界観でありながら、史実同様に黒人は奴隷として搾取されており、2020年6月の「いま」読むべき作品となっているのではないでしょうか。


〇アマル・エル=モータル「ガラスと鉄の季節」(訳:原島文世)

 2016年のネビュラ賞、そして2017年のヒューゴー賞ローカス賞、それぞれのショートストーリー部門を受賞した作品です。
 一人目の主人公であるタビサは、夫との愛情を疑ったことで呪いを受け、七足の鉄の靴を履きつぶすため、過酷な旅を続けていました。一方でもう一人の主人公アミラは、とある国の王女として生まれ、その美しさが争いを招かないように、ガラスの山の頂きにとどまり続けることを強いられているのでした。そんな二人が出会い、その在り方は間違っていると、互いが互いを呪縛から解放します。
 一見とてもファンタジックな世界を描いていますが、分かりやすく男社会に抑圧された女性の解放が書かれていて、現代の寓話といった趣きになっています。


〇ゼン・チョー「初めはうまくいかなくても、何度でも挑戦すればいい」

 2019年のヒューゴー賞中編小説部門受賞作。
 イムギ(大蛇)のバイアムは、龍となって昇天するために千年をかけて準備しましたが、二度続けて失敗してしまいます。これが最後と決めた三度目の挑戦も、レスリーという人間の女性に目撃されたことで失敗してしまいました。バイアムは復習のために天女の姿を取ってレスリーに近づきますが、そこでレスリーバイアムの求める”道”の研究者、つまり天文学者であることを知り、レスリーから学ぶようになります。次第にバイアムレスリーは惹かれあうようになり、同棲を始めます。異類婚姻譚(百合)といったところでしょうか。

 嬉しいことに今回掲載の4編のうち、2編が百合作品となっています。ただ私個人としては百合作品を娯楽コンテンツとして消費している自覚があるので、LGBTフェミニズムの文脈で出されると、なんとなく負い目を感じてしまいます。

 

〇キャロリン・M・ヨークム「ようこそ、惑星間中継ステーションの診療所へ――患者が死亡したのは0時間前」(訳:赤尾秀子)

 2017年のネビュラ賞ショートストーリー部門ノミネート作品。
 やたら長いタイトルでいったいどんなお話かと思ったら、まさかのゲームブック形式でした。毒のある虫に噛まれて土星天王星の中継ステーションにある診療所を訪れた”あなた”は、治療、もしくは生還するために行動を選択します。
 どの選択肢も皮肉に満ちていて楽しく読みましたが、一方でどうしてこの作品がネビュラ賞にノミネートされたのかなという疑問もあります。ただ、政治的、社会的メッセージが込められた作品だけがノミネートされるわけではないというのは、私としては喜ばしいことだと感じました。

 


 今回掲載された4編を読むと、SFというよりファンタジーな世界観の作品が多いなと感じましたが、そもそもネビュラ賞ヒューゴー賞はSFとファンタジーの賞なのですね。私が思っているよりこの二つのジャンルの距離は近かったようです。