逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』――個人に盲従を強いてくる不正に抗うための物語。あとSNSの「しょーもなさ」の描写もすごい。
『同士少女よ、敵を撃て』で鮮烈なデビューを果たした逢坂冬馬の長編第三作にして、第173回直木賞の候補作にも選ばれた本作。
およそ600ページもある大長編にふさわしく、様々な要素を抱え込んだ小説だったが、読み終わって私が一番に感じたことはこれだった。
これほどまでに「SNSをやめよう」というメッセージに説得力を持たせた小説はないな。
とはいえ勘違いしてほしくないのだが、本作は「SNSの闇を暴く」みたいなテーマの小説ではない。
私が思うに、本作のメインテーマは、「人間社会を生きていくなかで、ある種の不正に直面したときどうするべきか」ということではないだろうか。
ある種の不正というのは、例えば横領のような個人の利益のための不正ではなく、組織が組織の利益のために個人に強制する不正のことだ。
本作のタイトルになっている「ブレイクショット」とは、作中に登場する架空の国産SUV(スポーツ向け多目的車)の名称。また単語としては、ビリヤードで最初に打つショットのことを示すらしい。
本作では、工場から出荷された一台のブレイクショットを軸に、それに乗る人々の様々な人生が、連作短編のような形式で語られている。
そして、さながらビリヤード台の上で転がりまわるがボールぶつかり合うように、登場人物たちはそれぞれ意外な形で影響を与え合っていく。
そんな登場人物たちは、それぞれある種の不正に直面することになる。
例えば板金工として誇りをもって自動車修理の仕事をしていた職人は、あるとき同僚が工賃を水増ししていたことを知る。しかもそれは一部の不良社員の悪事ではなく、もっと組織ぐるみでの行為だった。
そして「みんなやってることだから」 「誰も損はしないし、むしろみんな助かる」といったような説得を受けるのだ。
こうした組織の利益のための不正、組織を維持するための不正、「そういうものだから」と盲従することを個人に強いる不正に対し、ある者は受け入れ、ある者は抗う。
思い返せばこうしたテーマは、デビュー作『同志少女よ、敵を撃て』に登場した主人公の幼馴染ミハイルの終盤でのある行動や、二作目の『歌われなかった海賊へ』で書かれた、強制収容所のある町で暮らすナチ体制下のドイツの人々の姿など、過去作にも共通して書かれてきたように思う。
そして我々読者も、社会の一員として暮らす以上、こうした不正と完全に無関係ではいられない。
こちらに盲従を強いるそれに出会ってしまったとき、自分に何ができるのか。そうなったときに必要な心構えをこの作品から受け取れるような気がした。
あらすじに戻ると、こうしてブレイクショットは様々な所有者のもとを転々とし、最後にはとある国際的な事件の現場に現れることになる。
そうした一連のニュースに対する作中でのTwitter(現X)の反応が異様に生々しい。
SNSへの書き込みの再現度が高い作品というのは数多くあると思うが、それはあくまで架空の出来事に対する架空の反応が書かれているにすぎない。
しかし本作において、読者はその架空の出来事に600ページも付き合ってきたのだ。結末の出来事について、様々な角度からの描写があり、ニュースサイト越しに知る現実の事件よりも身近に感じることができる。
だからこそ、SNSでありがちな反応の薄っぺらさ、身勝手さ、有害性、総じて「しょーもなさ」を身にしみて感じることができる。
「僕にとってSNSが楽しい時間は終わった」といった趣旨の登場人物の台詞が非常に印象的な一冊だった。
人間六度『烙印の名はヒト』――介護用アンドロイドのラブが、自身が”モノ”であることを証明するために奔走する傑作サイバーパンク!
あまり公言するようなことでもないのだが、エンタメ作品に登場する感情的なロボットの存在がどうにも苦手だ。いわゆる”地雷”というやつである。
もともと人間を再現するために作られたというならともかく、機械の知性というものは、ヒトとはもっと根本的に異なるものではないかと思うのだ。
とは言いつつも、別に私自身がAIに詳しいというわけでもなく、受け入れられる描写とダメな描写のラインも曖昧なため、まあ、一読者の些細な戯れ言である。*1
さて、そんな私にとって、今回紹介する人間六度の新刊『烙印の名はヒト』に登場するウェイツと呼ばれるロボットたちはどうだったかというと、あいにく私の苦手な部類のそれであった。
彼女ら彼らは、あまりにも情緒的にすぎるのだ。
ウェイツたちが人間とは異なる思考形態をしているということは、度々描写されている。しかしそれにしても、介護用のウェイツである〈介護肢(ケアボット)〉たちが、業務中に危険な目にあった同僚を心配して気遣ったり、そしてそれを少し鬱陶しく思ったりする(しかも人間の目がない場所で!)様子などは、かなり人間的に描写がされているように思える。
ロボットに対してあまりにも共感できてしまうのだ。
だから、この小説は私向きではないかもしれないと、そんなことを考えながら読み進めていたのだが、そんな心配は杞憂でしかなかった。
すべては著者の手のひらの上であり、そこでコロコロと転がされたあとは、読み始めたときには思ってもみなかった高みまで連れていかれたのだった。
そんな本作について改めて概要を紹介しよう。
本作は、ウェイツと呼ばれるヒト型アンドロイドたちが、様々な労働を代替している近未来の世界が舞台のサイバーパンクSF作品。
主人公であるウェイツのラブは〈介護肢〉として、高級養護施設で入居者の世話をしている。
そんなラブだが、あるとき入居者の女性を絞殺してしまう。そして無期懲役の有罪判決を受けてしまうのだが、この一連の流れで不可解なことが立て続けに起きている。
そもそもセキュリティによって人間を害することができないようになっているはずのウェイツが、どうして入居者の女性を殺すことができたのか。
そしてそれに輪をかけて不可解なのが、なぜラブが裁判を受けているのかということだ。ウェイツたちは確かに機械の知性を持ち、自律的に行動しているが、あくまでウェイツは労働目的で作られたアンドロイドであり、いうなれば”モノ”でしかない。
しかしそれにも関わらず、ラブの持ち主である養護施設のオーナーではなく、ラブ自身が殺人の責任を負わされてしまったのはなぜなのか。
留置場から脱走したラブは、自身の無実を証明するため、つまりは自分が”ヒト”ではなく”モノ”であることを証明するために奔走する。
物語は基本的にラブの一人称視点で進むうえ、その視点は最初に述べたように共感しやすい情緒にあふれている。読者視点ではとても”ヒト”らしく見えるラブが、作中では自分が”モノ”であることを認めさせようとしているという捻くれた構図が面白い。
そんなラブの視点に加えて、ラブの同僚であり、逃走した彼女の後を追う〈介護肢〉マーシーの視点も挿入されている。
マーシーは〈介護肢〉としての仕事を全うするために、より"ヒト"らしくあることに拘っており、"モノ"であろうとするラブとの対比がまた面白い。
こうしてラブは様々な協力者や敵対者と出会いながら、ウェイツにまつわる隠された真実へと近づいていくのだった。
そして、そんなラブの放浪を通して、読者はある得るかもしれない未来のイフを垣間見ることになる。
その中でも、人が陰謀論などの何らかの思想に自己を明け渡し、主体性や自ら考える力を失っていく様を「溶融」と表現し、それをコントロールすることで住民を制御している都市の存在が印象的だった。
そして、そうした遍歴の果に、ウェイツの〈介護肢〉であるラブは、なぜ自分が”ヒト”であることを拒み、”モノ”であろうとするのか。その問いに対する答えを得る。
終始、共感しやすい存在だとラブについて述べてきたが、彼女が手にした答えは、人間では手にできない、〈介護肢〉だからこそ到達し得た解答であり、ケアの本質といったものに触れているようにも思えた。
そして物語はまだまだ加速していく。
デビュー作の『スター・シェイカー』を読んだときにも感じたが、人間六度はラストシーンの書き方が抜群に上手い。途中までが凡作だったと言いたいわけではないが、仮にそうだったとしても、ラストシーンを読んだだけで大傑作を読んだという満足感が得られるような、それぐらいのパワーを持っている。
本作においても、SFでしか描けない壮大なスケールの非常に美しいシーンが待ち受けている。
約500ページの大作だが、連休の一気読みにもお勧めの一冊です。
野﨑まど『小説』――読者を未知の領域に引きずり込む「メタ小説」小説の仕掛けについて考えてみる
可笑林『血眼回収紀行』――バトル&ロードノベルな書籍版と、ミステリ&ハードボイルドなカクヨム版、どっちも読もう!!
義眼職人のイルミナと元軍人で魔法使いの用心棒ヴィンセントが、危険な力を持った魔法義眼〈天窓の八義眼(オクト・アルカナオキュラス)〉を取り戻すために旅をする近代ファンタジー、『血眼回収紀行(チマナコリコールトラベログ)』。
可笑林による本作は、第36回ファンタジア大賞銀賞受賞作として2024年3月に発売されたが、実は書籍化された内容は、銀賞を受賞した原稿と全くの別物だということをご存知だろうか。
カクヨムに公開されている可笑林『血眼紀行』のあとがきによると、編集者からの「全部書き直しましょう」の一言があったようだ。
そして、受賞原稿の続きのストーリーが書かれた『血眼回収紀行』が出版された。受賞原稿の方はその後、書籍版の宣伝のために、改稿の上、カクヨムで無料公開されることになったという経緯らしい。
このカクヨム版を私が見つけたとき、正直あまり期待せず読み始めたと告白しても、無理からぬこととご理解いただけるだろうか。要は、受賞に値する魅力はあるものの、そのままでは出版できないと編集部に判断された作品ということである。
ところが実際に読んでみると、これがめちゃくちゃ面白かった。
書籍版では、様々な魔法を操る敵たちと、次々に戦っていくバトルものの魅力があったが、カクヨム版ではミステリとして読者の度肝を抜くようなトリックが仕込まれている。
そんな『血眼回収紀行』を書籍版とカクヨム版、両方合わせて紹介したい。
まずは書籍版『血眼回収紀行』について。主人公の一人であるイルミナは先代の〈イルミナ〉に技術を仕込まれた義眼職人の少女。
彼女の目的は先代が遺し、何者かに奪われた特殊な魔法義眼〈天窓の八義眼〉を回収すること。この義眼はそれぞれな特殊な力をもった危険な存在であり、放置するわけにはいかないのだ。
しかし職人であるイルミナに戦闘能力はない。そこで彼女の用心棒を務めるのが、もう一人の主人公、ヴィンセントである。
ヴィンセントは元軍人であり、風型の魔法を操って戦う。この世界の住人は血を媒介に、それぞれの血液型に対応した魔法を使うことができる。高位の魔法使いであるヴィンセントは、かつては軍人として仲間たちとともに戦争に従事していた。
しかし時代は移り変わっていく。今では戦争が終わったはいいものの、その平和な世界に馴染めず、行き場を失った退役軍人が国中にあふれている。更にはテレビ塔がそびえ立つなど、科学技術の発展もすすみ、魔法の価値が相対的に低くなっていくことで、退役軍人たちはますます居場所を失っていく。
イルミナたちの旅路にも、そんな元軍人の魔法使いたちが立ちはだかる。そんな彼らとのバトルが本書の大きな魅力の一つである。
風型の魔法使いであるヴィンセントは、風の刃を撃ちだしたり、風を操って障害を吹き飛ばすことで戦う。さらには早撃ちを得意とするヴィンセントは、ただの攻撃魔法の撃ちあいであれば負けなしだが、そう簡単にはいかないのが面白いところ。
そもそも血液型には炎型、水型、風型、雷型の四つの型があるのだが、そこからどのような魔法が発現するかは個人の性質に依る。中には罠として設置できるような魔法や、相手に自らの血を取り込ませることで、デバフをかけるような使い方も存在する。
そのため、相手が何型の魔法使いで、どんな魔法を使って来るのかという情報が重要となる。こうした手の内の読み合いこそ、能力バトルの醍醐味だろう。
そこで活躍するのがイルミナだ。彼女は左右の眼窩に異なる義眼をはめており、機械仕掛けの左目の義眼は赤外線などの物理的な痕跡を、魔法仕掛けの右目の義眼は魔力の痕跡を視ることができる。
こうしてヴィンセントの圧倒的な制圧力とイルミナのサポートで次々と敵を撃ち破っていく二人は、魔法義眼の手がかりを求めて各地を旅していくうちに、やがて大きな陰謀に巻き込まれていくのだった。
このように『血眼回収紀行』に異能バトルやロードノベルものの面白さがあるとすれば、カクヨム版「血眼紀行」には、ミステリものやハードボイルドな魅力が詰め込まれている。
各地を旅していた『血眼回収紀行』とは異なり、「血眼紀行」はエミグラント連合王国の首ラングドンが舞台。ラングドンはいま、世界各地を巡っている歌姫スノウ=ホワイトが3年ぶりにラングドンで公演するとあって、どこか浮足立っていた。
その一方で、美しい娘の一番美しい体の部位を奪っていくという〈部品泥棒(パーツシーフ)〉の噂がラングドンに暗い影を落としていた。
〈天窓の八義眼〉の情報を求めてラングドンへとやってきたイルミナは、この〈部品泥棒〉が〈天窓の八義眼〉の持っているのではないかと疑いを持ち、捜索に乗り出す。
一方、軍を辞めたあと故郷にも帰らず、貴族の護衛の仕事も長続きしなかったヴィンセントは、今では示談屋という、時には暴力を用いて示談交渉を無理やりにまとめる裏家業すれすれの仕事で生活をしている。そんな彼も〈部品泥棒〉を巡るいざこざに次第に巻き込まれていく。
この主人公二人のほかにもう一人、外科医のギデオンの視点で物語は進む。人体から切り離したパーツを活かしたまま保存できるという特殊な水魔法を使うギデオンは、植民地の出身でありながら、今ではラングドン随一の外科医としての腕前を持つ。しかし、その技術を美容手術が目的の金持ちのためにしか使うことができない現状を憂えてもいた。
あるときそんなギデオンのもとに、とりわけ厄介な客が訪れるのだが、その目的とは果たして。
「血眼紀行」のミステリとしての焦点はやはり、〈部品泥棒〉の正体や如何に、ということになるだろう。正直、そもそもの登場人物の少なさ故に、察するところもあると思われる。
しかし、そうやって油断していると、終盤の展開でひっくり返ってしまうことになるだろう。それくらい見事な構成をしている。
この犯人あての謎解きをテストに例えるならば、60点は誰でも取れるが、100点を取るのは難しい出題といった感じだろうか。ぜひ油断せず、どこまで真相に近づくことができるか挑戦してみてほしい。
そしてまた、ハードボイルドな魅力もおすすめしたい。ハードボイルドといっても定義を知らない私が雰囲気で言っているだけだななのが、要は過去の事件をきっかけに倦んでしまった男が、事件の調査と闘争を通して、過去にけじめをつけようとする物語といったところだろうか。
書籍版では、ヴィンセントが、軍を辞めるきっかけとなったとある事件の犯人を追っていることが明かされる。一方でカクヨム版ではそのことについての言及はなく、幼少期の経験や戦争を通じて自覚した己の獣性に折り合いがつけれらず、燻っているヴィンセントの様子が描かれる。
平和な田舎に帰ることもできず、かといって首都で新しい居場所を見つけることもできない。そんなヴィンセントが、非力ながらも〈天窓の八義眼〉の回収という危険な目的に邁進するイルミナと出会うことで、変化するためのきっかけを得て、ヴィンセントと同じように過去に囚われて未来に目を向けることのできなくなった敵と対峙する。
そして熾烈な戦いのあと、ヴィンセントの決意を端的に示すような見事な一文が用意されており、そこで完全に心を撃ち抜かれてしまった。
長々と紹介してきたが、『血眼回収紀行』と「血眼紀行」、どちらも見逃さずチェックしてほしい。
『ミステリー小説集 脱出』――"異形"な物語の愛好家にもおすすめ!書き下ろしミステリアンソロジー!
「脱出」をテーマとした全編書き下ろしのミステリーアンソロジー。
本作では10年代にデビューした多彩な作家たちが名を連ねている。
主にミステリージャンルで活躍する阿津川辰海、井上真偽のほか、ミステリー+ホラージャンルの織守きょうや。怪奇幻想やSFジャンルを中心に執筆し、ミステリーと銘打った作品は今回初挑戦の空木春宵。そしてそれら全てのジャンルを横断して執筆する斜線堂有紀。
いったいどのような人選かというと、実は斜線堂の指名であることが本人のエッセイによって明かされている*1
私としては、ミステリーの名を冠したアンソロジーに別ジャンルを主戦場としている空木春宵を指名してくれたことが嬉しい。
『異形コレクション』*2で共演することの多い斜線堂と空木は*3、ともに"傷"や"痛み"といったテーマを扱うことが多く、過去には両者の対談企画も行われている。
今回書き下ろされた作品も、異形コレクション掲載作と言われてもなんら違和感のない内容となっており、ぜひ「異形」の読者にも読んでいただきたいものとなっている。
まず斜線堂有紀の「鳥の密室」は、魔女狩りがテーマ。幼いころ神のお告げを聞いたベネデッタは、聖女として町の修道院で暮らしており、今では魔女狩りに取りつかれてしまったデルンバッハ司教の、審問という名の拷問に手を貸してしまっている。
そんな彼女の前に魔女マリアが現れる。流浪人である彼女は町の家畜に害悪魔術をかけているとして告発されたが、司教の「審問」にも屈さず、淡々としている。そんなマリアに対して、ベネデッタは鳥の話をきっかけに打ち解けていく。
魔女を捉え、責めさいなみ、そして最後には焼くためにある塔は、かつては町の監視塔であり、毎年春になると燕が巣をつくっていたが、今ではもう鳥も寄り付かなくなってしまっていた。
そのような魔女狩りのためにある塔からの脱出がストーリーの核となる。出入口は錠で閉されており、唯一の窓も鳥でもなければ出入りできないような高さにある。そんな密室からマリアたちはどのようにして脱出するのだろうか。
作中には「審問」による人体損壊の描写もあるが、それがより一層恐ろしく感じられるのは、その暴力がいわれのないものであると、読者が知っているからだろう。
作中で魔女とされた女性の中には、彼女からお金を借りた男により、僅かな借金を踏み倒すためだけに魔女と告発されたものもいる。そして、一度魔女と告発されてしまえば、もはや言い逃れはできないという理不尽さが描かれる。
このようにして、誰かの犯した罪や負債が立場の弱いものへと転嫁されていく様は、続く空木春宵の作品にも描かれる。
空木春宵の「罪喰の巫女」は、戦後まもなくが舞台。語り手は、儀式によって参詣者の罪を喰らうという、特別な力を持った巫女の存在を調査するために、とある山奥にある神社に向かう。噂によると、政府の高官や闇市を取り仕切る親分などの権力者も、罪喰様に罪を喰らってもらっているらしい。
山奥にある神社の、さらにその地下深くにある石室に座す巫女によって行われる儀式は、前述の「審問」にも負けず劣らずグロテスクであり、しかしどこか耽美さも感じられるものだった。
そんな儀式を行う巫女の美貌にうたれた主人公は、ただひたすらに人々の罪業を押し付けられてきた巫女を救い出すことを決意する。しかし石室は地下深くにあり、石室の出入り口と、石室を取り囲む通路の出入り口には「魔不通ノ鏡」という監視装置があり、さらに儀式の際は裸で石室に入るため、道具を持ち込むこともできない。
そのような状況で、いかにして巫女を連れて石室を脱出するかというのがミステリーとしての見どころとなっている。
罪喰の巫女は外に連れ出すと「禍償戒雨(マガツイマシメ)」が地上に降り注ぎ、世界が滅ぶほどの災いが起きると伝えられているらしい。空木春宵の読者であれば、人々の罪や業を背負わされ続けてきたものが世界に解き放たれ、その罪を世界に還すというモチーフは何度か読んだことがあるだろう。
しかし、類似するモチーフを扱いながらも、同じ結末は描かない、つまり一つの結論に留まらないところが空木の魅力。本作でも過去の作品とは一味違った結末が描かれる。果たして巫女を連れ出そうとした主人公の罪とはいかなるものか、そして罪を喰らい続けた巫女の心境はいかに。
本書ではこの2編のほか、真冬の屋上に閉じ込められた天文部の脱出劇とそこに秘められた真意を紐解く阿津川辰海の「屋上からの脱出」、中に入ると名前を奪われるという森に足を踏み入れた少年たちの冒険を描いた織守きょうや「名とりの森」、バイオハザードにより吸血鬼のようになってしまった患者のさまよう病院から記憶喪失の少年が脱出をはかる井上真偽「サマリア人の血潮」の計5編が収録されている。
甲田学人『ほうかごがかり』ーー異相の小学校で怪異と向き合え!新作ホラーラノベが面白い!
久し振りに発売月に手に取った新作ライトノベル、甲田学人『ほうかごがかり』。とても面白く読み終えました。
ライトノベルでオカルトバトルではないタイプのホラー作品は珍しいのでは?
これは一般文芸のホラー作品ブームがライトノベルにも流入したのかも!とか。
うっかりすると自分の狭い観測範囲から、それっぽいことを言いたくなってしまいますが、例の騒ぎを他山の石として、気を付けたいものです。
あらすじ
小学6年生に進級したばかりの二森啓は、ある日の放課後、黒板に「ほうかごがかり 二森啓」と書かれているのを見つける。
単なるイタズラかに思えたそれだったが、異変はその日の深夜に訪れる。
啓が自分の部屋で寝ていると、突如として学校のチャイムが鳴り響き、強制的に小学校へと移動させられてしまったのだ。
しかもそこは啓の通う小学校に見えて、明らかに様子がおかしい。学校の敷地は墓地と亡霊らしきものに取り囲まれ、それより外の様子は暗闇に没して確認できない。さらに校内は、所々電気がついているものの妙に薄暗く、不安を煽ってくる。
そんな奇妙な小学校に呼び出された啓は、ほかにも6人いる「ほうかごがかり」のメンバーとともに、「かかり」の活動を行うことになる。
異界化した深夜の小学校という舞台は、まるで怪物から逃げ惑うタイプのデスゲームが始まりそうな雰囲気だが、「ほうかごがかり」の活動はそのように物理的に迫る脅威を伴うものではない。
この深夜の小学校には、通称「無名不思議(ナナフシギ)」と呼ばれる怪談の種のようなものが存在しており、それらを「かかり」が観察・記録することで、それらが「学校の怪談」に成長するのを防ぐことができるのだそうだ。
啓が担当することになった「無名不思議」は、屋上で赤い靄のようなものが人の形をとっている、通称「まっかっかさん」。
観察して記録するだけ、状況に比してそれほど危険はないように思える活動内容だが、はたして……。
読者の想像力が恐怖を煽る
世間にはホラーと小説は相性が悪いなどとのたまう人もいるようだが、もちろんそんなことあるはずない。
本作では特に、起きてほしくない未来を予感させるような描写が恐怖を煽り立てる。
街の灯りが消え去り、暗闇の中に浮かぶ学校の屋上
唯一の光源である、出入り口の蛍光灯
蛍光灯が投げかける光の輪の境界に佇む赤い影
そして、その先にある人一人が通れそうなフェンスの破れ目
意味深に配置されたいくつかの要素が、読者の想像力を刺激し、嫌でも恐ろしい展開を予感させる。
そしてその予感が当たらないようにと祈りながらも、それを確認したくて、次々と先を読んでしまうのだ。
怪異と向き合う主人公の静かな戦い
そんな「無名不思議」に対して、啓はどのように対処していくのか。
絵を描くことが得意な啓は、「まっかっかさん」を自分のスケッチブックに描き写すことで、完璧な記録をしようとする。
絵が得意といっても、美術の成績が良いといった程度のことではなく、家庭の事情も相まって、啓には既に芸術家としての芯のようなものをその身に備えている。
そんな啓は絵に描き写すことで「まっかっかさん」の本質を捉えようとするが、しかし相手は不定形の靄のような存在で、なかなか形を捉えることはできない。
それでも何とか「まっかっかさん」を捉えようとする啓の静かな戦いは、バトルものの戦闘シーンにも勝るとも劣らない緊迫感で書かれており、本を掴む手に思わず力がこもってしまう。
家庭環境が違う二人の友情に注目
それとこれは個人的な好みではあるが、主人公の動機が、一緒に巻き込まれたクラスのアイドル的存在を助けるために頑張るといったような、安易なヒロイズムに偏らなかったのが良かった。
この1巻ではむしろ、友情面がフォーカスされる。
啓には緒方惺という2年生の頃からの親友がいるのだが、5年生になった頃から、何故か惺に避けられるようになってしまっていた。
その惺も実は「ほうかごがかり」に選ばれており、係活動を通して交流が再開する。
そんな啓と惺の二人は、きっと成長してからでは出会えなかっただろうと思えるほどに、家庭環境に大きな差がある。
しかしどちらも大人びたところのある二人は、恐らくその差を理解していて、対等な関係が崩れないように、非常に気を遣っている様子が見てとれる。
環境のちがいや、そもそも「ほうかごがかり」という恐ろしい怪現象を、彼らの友情は乗り越えられるのか、続刊に期待したい。
陸秋槎『ガーンズバック変換』――中世ファンタジーから現代お仕事もの、近未来SF、さらには架空伝記から異常論文まで幅広く収録された著者初のSF短編集!
デビュー作の『元年春之祭』(2018,早川書房)をはじめ、『雪が白いとき、かつそのときに限り』(2019,同)、『文学少女対数学少女』(2020,同)など、華文ミステリの名手として知られる陸秋槎。そんな陸は、『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』(2019,同)のために書き下ろされた「色のない緑」を皮切りに、SF作品も精力的に発表している。
そうしたSF短編を中心に、書き下ろし2編を加えた短編集『ガーンズバック変換』が2023年2月に早川書房より刊行された。
その中にはもちろん前述の「色のない緑」(稲村文吾 訳)も収録されている。この短編は大森望の手による『ベストSF2020』(竹書房,2020)にも選出されており、これで3回目の書籍収録となるが、読むたびごとに理解が深まり、著者の先見性に驚かされるような内容となっている。
物語の語り手は、出版社でAIが翻訳した小説を脚色する仕事をしているジュディ。彼女は10代の頃に学術財団が支援するプロジェクトに参加しており、そこで同世代のエマとモニカとともに、人工言語についての研究をしていた。
その後就職したジュディと異なり、エマとモニカは研究者の道を進んでいたが、あるときエマから連絡がありモニカが自殺したことを知らされる。なぜモニカは自殺してしまったのか。三人の女性の過去と現在が交互に描かれる。
そんな本作には感染症の大規模な流行によって廃れてしまった商業地域が登場する。いまとなってはありがちな設定に思えるかもしれないが、実は本作が書かれたのは新型コロナウィルスが流行するよりも以前なのだ。日本でもコロナが流行り始めた2020年に本作は『ベストSF2020』に再録され、その先見性の鋭さに一部注目を集めた。
そして、2023年現在、画像生成AIやチャットボットの急速な普及によって、著作権についてなど、様々な問題も同時に発生している。結局は人間がどうAIを使うかという問題かと思うが、実はモニカの自殺の原因にもAIの問題が絡んでいるのだ。
いまこのときにこの作品を読み返したことによって、より深く作品の内容を理解できたように思う。そしてこのことは何より、著者の社会を見る目の確かさを証明している。
さてそんな陸秋槎といえば、百合小説の書き手としても有名だろう。先述の「色のない緑」も百合SFアンソロジーのために書き下ろされた作品だが、表題作の「ガーンズバック変換」(阿井幸作 訳)も同じく百合SFとなっている。
この「ガーンズバック変換」は、香川県で2020年に制定されたネット・ゲーム依存症対策条例が元ネタとなっている。
作中ではこの条例が非常に厳しく運用されており、香川県の未成年者が着用する特殊な眼鏡「ガーンズバックV」は、それを通して見る液晶画面を真っ黒にしてしまうのだ。もちろん自宅などでガーンズバックVを外せば普通に液晶画面を見ることはできるが、非常に視力が低い美優にはそれも難しい。
そんな美優は、ガーンズバックVの模造眼鏡をつくるため、小学生の頃に引っ越してしまった幼馴染の梨々香を頼って大阪までやってきたのだった。
大阪滞在中、美優と梨々香は、香川から大阪に進学した美優の先輩である島村と落ち合う。ネット環境を制限された香川県の学生の間では、映画や音楽の古典作品が共通言語として成立しているというのが面白い。
美優と梨々香は幼馴染の関係ではあるが、途中で転校してしまった梨々香は美優たちの話題についていけない。その辺の関係性から生まれる微妙な緊張感も印象的だった。
無事に模造眼鏡を手に入れた美優だったが、そこに条例に反抗する『讃岐青年同盟』のメンバーが現れる。美優の小旅行の結末はどうなるのか、そして梨々香との関係性の変化にご注目。
ここまでSF色の強い作品ばかりを紹介してきたが、短編集全体を見渡すと、そういう作品ばかりとは決していえない。例えば書き下ろしの「物語の歌い手」(大久保洋子 訳)などは、十四世紀のフランスを舞台にしたとある吟遊詩人の少女の物語となっている。
主人公の少女は貴族の娘としてお城で暮らしていたが、こっそり訪れた酒場で出会った吟遊詩人のジャウフレに感化され、城を飛び出して吟遊詩人としての旅を始める。ジャウフレを追いかけて旅を続ける彼女は、やがて吟遊詩人たちの秘密結社に導かれていく。
百合好きとしては、リュート弾きとして主人公にお供する侍女のステファネットとの主従の絆についてもおすすめしたいが、その関係性が作中で強くフォーカスされるわけではない。なぜなら著者曰く、この短編が”「小説以前小説」の書き方を参考に”したものだからだ。その一種独特な読み心地を楽しんでほしい。
このほか、ゴーストライターの仕事を請けた小説家が作家の業に向き合う「サンクチュアリ」(稲村文吾 訳)、詩とその継承にまつわる三つの掌編からなる「三つの演奏会用練習曲」(稲村文吾 訳)、スマホゲームのシナリオライターが無茶振りに応えて設定づくりに苦悩する「開かれた世界から有限宇宙へ」(阿井幸作 訳)、SFマガジンの異常論文特集に公募から選出された「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」(稲村文吾 訳)、当時のSF小説の影響を受けナチスにも接近した架空の作家の生涯を書いた「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」(大久保洋子 訳あ)といった計8編が収録されている。
こうしてみると「詩/物語」や「創作すること」が、短編集全体を貫くテーマとなっているようだ。しかもそれらをポジティブに書くのではなく、そういった行為に伴う、きれいごとでは語れない部分に焦点を当てて、描き出している。
そんなネガティブな側面にも向き合いつつ、決して創作をやめることない著者の姿勢は、だからこそ読者を惹きつけるのかもしれない。


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