汗牛未充棟

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冲方丁『骨灰』ーー渋谷駅の地下、秘せられた祭祀場に真っ白な灰が降り積もる。著者初の長編ホラー!

 歴史小説から現代サスペンスにSFアクション、さらにはファンタジーまで、あらゆるジャンルを横断して執筆する小説家・冲方丁。そんな氏の初となる長編ホラー小説『骨灰』が「小説 野生時代」での連載を経て刊行された。

 ちなみに短編のホラー小説としては、「異形コレクション」に書き下ろされたのち、短編集『OUT OF CONTROL』(2012 ハヤカワ文庫JA)に収録された「まあこ」*1「箱」*2などがある。

 

 

 公式に「メトロポリス・ホラー」とも紹介されている通り*3、2015年の東京という大都市が物語の舞台となっている。この東京、引いては江戸という土地は、『光圀伝』『剣樹抄』などで何度も冲方作品の舞台として選ばれた土地であり、『骨灰』の作中でも、それらの作品との繋がりを感じ取れる要素もあって面白い。

 本作の主人公は、渋谷駅の再開発事業を担う大手デベロッパーのIR部に勤める松永光弘。IR、すなわちインベスター・リレーションズとは投資家向けの広報のことを言い、正確な情報提供のために、社内で何か問題が起きた際の情報収集や、危機管理もIR部の仕事となる。

 早朝から雨の降る梅雨時のその日も、松永は「事件」への対応のために、渋谷駅近くの再開発現場を訪れていた。「東棟」と仮称される高層ビルが建設予定のその現場では、現場の写真とともに施工ミス連発」「いるだけで病気になる」などのツイートがいくつも投稿されていたのだ。何の根拠もないツイートと思われるが、放置するわけにもいかない。投稿の真偽を確認するためにも、松永は現場の地下へ下りていくのだった。

 そして、地下であるはずなのになぜかカラカラに乾いた空気の中、白い粉塵が降り積もる階段を恐る恐る下っていく松永は、その最深部でとある恐ろしいものを発見してしまう。

 その後何とか地上に生還した松永は、幼い娘と身重の妻が待つ自宅マンションに帰宅するが、自宅でも不可解な現象に見舞われる。翌日、松永は東棟の祭祀場を管理する玉井工務店を訪れて、様々なレクチャーを受けるが、事件の謎を追ううちに、彼とその家族は更なる怪現象に巻き込まれていくのだった。

 次第に深みにはまっていく松永だが、その展開には彼のIR部所属という設定が上手く機能しているように思う。何かトラブルが起きた際は、その経過や原因を明らかにし、何も問題はないのだと投資家にアピールするのが松永の仕事となる。

 当然、「お化けや幽霊の仕業です」などといった説明が受け入れられるわけもない。合理的な説明を求められているという義務感は、合理的な答えがあるはずだという思い込みに繋がり、狭まった視野は本能的な危機感を鈍らせる

 さらに秘匿性を重んじるIR部では、基本的に報告は直属の上司にのみ行い、単独行動で調査をする。そのため気軽に助けを求める相手もおらず、いつの間にか取り返しのつかない状況まで追い込まれてしまうのだ。

 物語は、かつて建設業に従事していた父親が主人公の前に現れることで、更に加速していく。

 面白いのは、事態を解決する術は読者に対しては明確に提示されていることだ。しかし、それが目の前にあるにも関わらず、松永は絶対にそれに気づくことができない。そのストレスと緊張感が、読者の目を離せなくさせる。
 
 本作についてのインタビューで著者の冲方丁は、先行きの見えない不安の世の中を生きる上での、免疫としてのホラーの効能について何度も述べている*4*5。予防接種としての『骨灰』、ひとついかがだろうか。

*1:新進気鋭のヘアスタイリストが、あるダッチワイフのスタイリングを依頼されたことで人生が狂っていく。

*2:自殺した知人が収集していた箱を売りさばくために集まった男たちだが、中身を確認しようとしたところで異変が生じる

*3:https://www.kadokawa.co.jp/topics/8903/

*4: 都会の地下が怖くなる禁忌のモダンホラー 『骨灰』冲方 丁 | インタビュー | Book Bang -ブックバン-

*5: 初のホラー長編上梓の冲方丁氏「ホラーは不条理に抵抗する力や免疫を与えてくれる」|NEWSポストセブン (news-postseven.com)