汗牛未充棟

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冲方丁『月と日の后』――お飾りの中宮から国母へ、藤原彰子の生涯を書いた大作歴史小説

 『月と日の后』は、平安時代中期に宮廷で権勢を振るった藤原道長の娘であり、一条天皇に入内し一族繁栄の要となった藤原彰子の生涯を描いた小説。2018年5月から2021年6月まで雑誌『歴史街道』にて連載され、この度PHP研究所から単行本が刊行された。

 作者の冲方丁は、清少納言を主人公とした小説『はなとゆめ』を角川書店から刊行しているが、『月と日の后』はその直後の時代を描いた物語であり、実質的な続編といえる。

 

 彰子が中宮として一条天皇に入内したのは彼女が12歳の頃。成人の儀式は一応終えているとはいえ、あまりにも早い入内だった。しかもその2年後には、父の道長とは対立関係にあった先の中宮である定子の遺児を彰子が預かることになる

 この遺児・敦康親王を彰子は愛情深く育てるのだが、どうしてライバルともいえる女性の子どもを愛したのか、千年も昔に生きた人間の心情を現代に生きる我々が知る術はない。しかし、そこを作者の想像力で補うのが、歴史小説の醍醐味ともいえるだろう。

 本作において、父に命じられるがままに入内した彰子は、内裏での生活に虚しさを感じていた。そんななか、まだ2歳で何も理解できないまま彰子のもとに連れてこられた敦康親王を胸に抱いたとき、彰子は敦康に自らを重ね合わせ、とある決意をする。

 それは敦康に自分と同じような虚しさを感じさせないこと。そのためにはなぜ敦康が、そして自分がここにいるのか、その因果を知らなくてはならない。

 これは彰子がライバルの子である敦康親王を愛するようになったきっかけのエピソードであるが、同時に後に国母と呼ばれるようになる彰子のオリジンともいえるエピソードになっている。さらに、彰子が自分や敦康親王のルーツを明らかにしていくことで、読者に対して当時の時代背景や社会制度を説明することができる。デビュー25周年を迎えた作者の、巧みな手腕といえるのではないか。

 

 続く第二章では、より成長した彰子が、二人の人物によって導かれることになる。一人は『源氏物語』を書いた紫式部だ。才媛と名高い彼女は、彰子の女房として出仕することになる。紫式部から漢文を学ぼうとする彰子だったが、紫式部は「一」という漢字すら書こうとしない。それほど自身の才能をひた隠しにする紫式部に対し、彰子は一計を案じることになる。そんな始まりから、次第に結ばれていく主従の固い絆が素晴らしい

 そして彰子を導いたもう一人の人物こそ、夫である一条天皇その人だった。そもそも彰子が紫式部に学ぼうと思ったきっかけは、一条天皇にあった。宮廷の平和、ひいては敦康親王の安寧のためには、融和の精神をもって政治に当たる一条天皇はなくてはならない人物である。そんな夫を少しでも助けるためにも、政治の基本である漢文の知識はなくてはならないものだった。

 のちに彰子は、自分も夫によって啓かれた者の一人だと回想しているが、そんな一条天皇に教養を与え、啓蒙した人物こそ中宮定子であったことが、『はなとゆめ』では書かれている。『はなとゆめ』から続けて読むと、若くして亡くなってしまった定子の意思が継承されていることが分かり胸を打つ。

 

 冲方丁は25年のキャリアの中で多くの戦う主人公を書いてきたが、朝廷の融和と子どもたちの安寧のため、政争という戦いに身を置く彰子もまたその一人である。どれほど運命に裏切られても戦い続ける彰子の姿に感動する一作だった。

 

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