汗牛未充棟

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陸秋槎『ガーンズバック変換』――中世ファンタジーから現代お仕事もの、近未来SF、さらには架空伝記から異常論文まで幅広く収録された著者初のSF短編集!

 デビュー作の『元年春之祭』(2018,早川書房)をはじめ、『雪が白いとき、かつそのときに限り』(2019,同)、『文学少女対数学少女』(2020,同)など、華文ミステリの名手として知られる陸秋槎。そんな陸は、『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』(2019,同)のために書き下ろされた「色のない緑」を皮切りに、SF作品も精力的に発表している。

 そうしたSF短編を中心に、書き下ろし2編を加えた短編集ガーンズバック変換』が2023年2月に早川書房より刊行された。

 

 

 その中にはもちろん前述の「色のない緑」(稲村文吾 訳)も収録されている。この短編は大森望の手による『ベストSF2020』(竹書房,2020)にも選出されており、これで3回目の書籍収録となるが、読むたびごとに理解が深まり、著者の先見性に驚かされるような内容となっている。

 物語の語り手は、出版社でAIが翻訳した小説を脚色する仕事をしているジュディ。彼女は10代の頃に学術財団が支援するプロジェクトに参加しており、そこで同世代のエマとモニカとともに、人工言語についての研究をしていた。

 その後就職したジュディと異なり、エマとモニカは研究者の道を進んでいたが、あるときエマから連絡がありモニカが自殺したことを知らされる。なぜモニカは自殺してしまったのか。三人の女性の過去と現在が交互に描かれる。

 そんな本作には感染症の大規模な流行によって廃れてしまった商業地域が登場する。いまとなってはありがちな設定に思えるかもしれないが、実は本作が書かれたのは新型コロナウィルスが流行するよりも以前なのだ。日本でもコロナが流行り始めた2020年に本作は『ベストSF2020』に再録され、その先見性の鋭さに一部注目を集めた。

 そして、2023年現在、画像生成AIやチャットボットの急速な普及によって、著作権についてなど、様々な問題も同時に発生している。結局は人間がどうAIを使うかという問題かと思うが、実はモニカの自殺の原因にもAIの問題が絡んでいるのだ。

 いまこのときにこの作品を読み返したことによって、より深く作品の内容を理解できたように思う。そしてこのことは何より、著者の社会を見る目の確かさを証明している。

 

 さてそんな陸秋槎といえば、百合小説の書き手としても有名だろう。先述の「色のない緑」も百合SFアンソロジーのために書き下ろされた作品だが、表題作のガーンズバック変換」(阿井幸作 訳)も同じく百合SFとなっている。

 この「ガーンズバック変換」は、香川県で2020年に制定されたネット・ゲーム依存症対策条例が元ネタとなっている。

 作中ではこの条例が非常に厳しく運用されており、香川県の未成年者が着用する特殊な眼鏡ガーンズバックV」は、それを通して見る液晶画面を真っ黒にしてしまうのだ。もちろん自宅などでガーンズバックVを外せば普通に液晶画面を見ることはできるが、非常に視力が低い美優にはそれも難しい。

 そんな美優は、ガーンズバックVの模造眼鏡をつくるため、小学生の頃に引っ越してしまった幼馴染の梨々香を頼って大阪までやってきたのだった。

 大阪滞在中、美優と梨々香は、香川から大阪に進学した美優の先輩である島村と落ち合う。ネット環境を制限された香川県の学生の間では、映画や音楽の古典作品が共通言語として成立しているというのが面白い。

 美優と梨々香は幼馴染の関係ではあるが、途中で転校してしまった梨々香は美優たちの話題についていけない。その辺の関係性から生まれる微妙な緊張感も印象的だった。

 無事に模造眼鏡を手に入れた美優だったが、そこに条例に反抗する『讃岐青年同盟』のメンバーが現れる。美優の小旅行の結末はどうなるのか、そして梨々香との関係性の変化にご注目。 

 

 ここまでSF色の強い作品ばかりを紹介してきたが、短編集全体を見渡すと、そういう作品ばかりとは決していえない。例えば書き下ろしの「物語の歌い手」(大久保洋子 訳)などは、十四世紀のフランスを舞台にしたとある吟遊詩人の少女の物語となっている。

 主人公の少女は貴族の娘としてお城で暮らしていたが、こっそり訪れた酒場で出会った吟遊詩人のジャウフレに感化され、城を飛び出して吟遊詩人としての旅を始める。ジャウフレを追いかけて旅を続ける彼女は、やがて吟遊詩人たちの秘密結社に導かれていく。

 百合好きとしては、リュート弾きとして主人公にお供する侍女のステファネットとの主従の絆についてもおすすめしたいが、その関係性が作中で強くフォーカスされるわけではない。なぜなら著者曰く、この短編が”「小説以前小説」の書き方を参考に”したものだからだ。その一種独特な読み心地を楽しんでほしい。

 

 このほか、ゴーストライターの仕事を請けた小説家が作家の業に向き合うサンクチュアリ(稲村文吾 訳)、詩とその継承にまつわる三つの掌編からなる「三つの演奏会用練習曲」(稲村文吾 訳)、スマホゲームのシナリオライターが無茶振りに応えて設定づくりに苦悩する「開かれた世界から有限宇宙へ」(阿井幸作 訳)、SFマガジンの異常論文特集に公募から選出された「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」(稲村文吾 訳)、当時のSF小説の影響を受けナチスにも接近した架空の作家の生涯を書いた「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」(大久保洋子 訳あ)といった計8編が収録されている。

 こうしてみると「詩/物語」や「創作すること」が、短編集全体を貫くテーマとなっているようだ。しかもそれらをポジティブに書くのではなく、そういった行為に伴う、きれいごとでは語れない部分に焦点を当てて、描き出している。

 そんなネガティブな側面にも向き合いつつ、決して創作をやめることない著者の姿勢は、だからこそ読者を惹きつけるのかもしれない。