汗牛未充棟

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陸秋槎『元年春之祭』――前漢時代の中国、家に縛られた少女たちに自分の人生を生きる術はあるのか。中国発の本格ミステリ。

 舞台となるのは前漢時代の中国。作中には多くの女性が登場するが、誰もが人生の選択肢において大きな制限を受けている。そんな彼女たちが自分の人生を生きるために選びとった行動は、きっと読者にとって忘れ得ぬものになるだろう。

 陸秋槎は中国出身のミステリ作家。2014年、雑誌《歳月・推理》が主催する華文ミステリ大賞を短編「前奏曲」で受賞してデビューした。著者あとがきによれば本作は「前奏曲」での受賞前から執筆されており、こちらが陸秋槎の初めての作品ということになる。現在は日本に在住しており、近著の『盟約の少女騎士』(星海社、稲村文吾 訳)は、中国で発表された作品の翻訳ではなく、日本で初めて刊行される書き下ろし作品となっている。

 タイトルにある「元年」とは天漢元年のことであり、西暦でいうと紀元前100年、前漢時代の中国が舞台となっている。首都長安の豪族の娘である於陵葵(おりょう き)は、かつては楚国の領土であった雲夢(うんぼう)という土地を訪れ、土地の貴族である観家の現当主の娘である観露申(かん ろしん)と親しくなる。葵が雲夢を訪れたのは自らの見聞を広めるためであったが、古礼の知識に優れた葵は、観家での歓迎の席で求められ、屈原や観家で行われる祭儀にまつわる知識を披露するのだった。

 そんななか、祭儀の中心人物であった当主の妹が遺体で発見される。しかも現場に繋がる道には複数の人の目があって、犯人の逃げ道がない実質的な密室状態にあった。知恵を買われた葵は、露申とともに事件解決に乗り出すが、そこに新たな事件が発生してしまうのだった。

 於陵葵が探偵役、観露申が助手役となって物語は進行するが、この二人の少女はどちらも”家”というものに縛られた存在であることが冒頭で示されている。歴史ある観家に生まれた露申には、貴族といったものの例にもれず、家系の存続といった問題がついてまわる。本来は露申の伯父一家が当主の座を継いでいくはずであったが、四年前のとある事件で一家のほとんどが亡くなってしまい、露申が婿を取って血を繋がなくてはならないのだった。

 一方の於陵葵は、侍女と二人切りでの遊学が許されており、一見自由な身分に思える。しかし彼女もまた、古いしきたりにとらわれていた。於陵家のルーツであるかつての斉国では、長女の結婚が禁じられており、家中の祭祀を長女が担当するようになっていった。その名残から、長女が結婚をすると、その家や長女自身に災厄が訪れると信じられていた。つまり葵もまた、他の家に嫁ぐことはおろか婿を取ることもできず、於陵という家に縛られているのだった。

 もちろんこれは葵や露申だけの問題ではなく、露申の姉妹たちや、葵の侍女である小休など、この時代に生きる女性たちは誰もが自由を制限されている。

 

 そんな環境のなか、葵は露申を長安へ連れ出して、観家から解き放とうと試みる。しかし露申は他の姉妹のように音楽や学問の才能のない自分には、忠孝しか残されていないと、葵の誘いを断ってしまうのだった。そこには露申の姉妹へのコンプレックスだけでなく、客人でありながら、露申以上に観家の儀礼に詳しい葵という才人へのコンプレックスも見て取れる。

 殺人事件の謎はもちろん、事件の果てにこの二人が何を選択するのかにも、注目して読んでいただきたい。