汗牛未充棟

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"江戸版シュピーゲル"って本当?――冲方丁『剣樹抄』

 文藝春秋春秋の「オール読物」で連載中の冲方丁『剣樹抄』が遂に単行本として発売されました!

 

剣樹抄

剣樹抄

 

 
 2017年に冲方丁の傑作「シュピーゲルシリーズ」が完結し、シュピーゲルロスに陥っていた私は、『剣樹抄』が江戸版シュピーゲルだと聞いて以来、単行本の発売を心待にしていました。

 しかし、江戸版シュピーゲルというのは公式からの発言ではなく、あくまで読者側から発信された言葉だと認識しています。冲方さん自身や文藝春秋としては、その点をあまり意識していない、もしくはセールスポイントとして押し出すつもりはないのかもしれません。(冲方サミットメンバーで『剣樹抄』とシュピーゲルを結びつけたのは、やはりというか当然というかKADOKAWAの編集の方だけだったように記憶しています。記憶違いかもしれませんが…)

 

 

 そうは言っても、明歴の大火直後の江戸を舞台に「捨て子たち」で構成された「特殊部隊」が「能力を駆使」して放火を得意とする「謎のテロ組織」と戦うとくれば、シュピーゲルを思い出さないわけがありません。では『剣樹抄』と「シュピーゲルシリーズ」に実際どのような共通点があり、違いがあるのか、考えてみたいと思います。

 

 

〇あらすじ


 主人公は芥運びをして暮らしていた無宿人の了助という少年。彼は野犬を追い払うために、木の棒を連続して振り回す独自の剣法を編み出していた。そんな彼を見いだすのがもう一人の主人公、若き日の水戸光圀であった。捨て子たちを保護しては特殊な技能を教え込ませ、幕府の諜者として活動させる隠密組織「拾人衆」。光圀はそのお目付け役を任されていた。

 明暦の大火という前代未聞の大火災から復興しようとする江戸では、悪質な放火事件が続いていた。どうやら事件の背後には”正雪絵図”と呼ばれる放火の指南書のようなものがあるらしい。了助は「拾人衆」の仲間とともに謎を追うのだった。

 

 

〇「MPB MSS」と「拾人衆」、「プリンチップ」と「正雪絵図」

 『剣樹抄』がシュピーゲルシリーズを想起させる一番の要因はやはり「拾人衆」という組織ではないでしょうか。拾人衆は捨て子を保護し、様々な技能を身につけさせて江戸の治安を守ろうとする組織です。一方、MPB,MSSで活動する特甲児童も、様々な事情で体の一部を機械化した子どもたちが、ミリオポリスという巨大な都市の治安を守るために戦います。違いといえばMPB,MSSという治安組織の中に子供たちの部隊があるシュピーゲルシリーズに対して、『剣樹抄』の拾人衆は監督役の大人以外はすべて子供たちで構成された組織というところでしょうか。また作中における子どもたちの扱いにも違いがあるのですが、それは後述します。

 シュピーゲルシリーズと『剣樹抄』の両作では敵組織の在り方にも共通点を見いだせそうです。シュピーゲルシリーズ、特に『オイレンシュピーゲル』の序盤では、テロを起こす凶悪犯の武器に「プリンチップ社」の製品であることを示すマークがあり、犯人たちを裏から操る謎の組織の存在が示唆されていました。『剣樹抄』においても「正雪絵図」と呼ばれる地図が密かに取引され、その地図をもとに放火事件が発生します。拾人衆や光圀がその出所を探ろうとしますが、どうやら幕府の上層部に内通者がいるようでうまく捜査が進みません。ここら辺もシュピーゲルシリーズに通じるところですね。

 このように都市の治安組織に身を置く子供たちと、都市内部で暗躍し権力の上層ともつながりを持つ敵組織という状況設定は両作で共通しています。

 

 

〇了助と光圀、2人の主人公

 それでは両作の相違点はどこでしょうか。それは登場人物へのスポットの当て方にあるように思います。『オイレンシュピーゲル』では涼月、陽炎、夕霧という3人の少女を中心にストーリーが展開しました。また『スプライトシュピール』においては鳳、乙、雛そして冬馬という4人の少年少女を中心に、接続官の水無月や司令官のヘルガなど彼らの周辺人物にもスポットが当てられ、群像劇に近い物語となりました。

 一方『剣樹抄』においても、了助の仲間となる子供たちが登場します。なかでも人相書きが得意な「みざる」の巳助、変声の名手「いわざる」のお鳩、聴力に優れた「きかざる」の亀一が主な登場人物ですが、あくまでも彼らは脇役であり、了助と光圀を中心に物語は展開します。

 実はこの二人の主人公の間には浅はかならぬ因縁があるのですが、果たしてそれがどう決着するのか楽しみでなりません。それというのも了助と光圀の因縁はシュピーゲルシリーズのとある2人の因縁と相似をなすのですが、私はその二人の関係性がとても好きなので、その2人の場合とどう違いを出すのか気になってしまうのです。

 

 

〇乙と了助

 『剣樹抄』を読み進めていくうちに了助を『スプライトシュピーゲル』の乙に重ね合わせた人も多いのではないでしょうか。

 作中では各話ごとに様々なゲストキャラクターが登場します。それは例えば勝山髷で有名な当代一の遊女(湯女)であったり、初代の横綱であったりするのですが、了助はそんな彼らと交流し様々なものを受けとります。中でもとある老年の仏師から、了助はとても大事なものを受け継ぎます。

 この構図が乙と”モリサン”、そしてピエール・バスティーユ捜査官との関係を思い出させます。多くの師を得て、シュピーゲルシリーズの中でも屈指の成長を遂げた乙です。きっと了助にもこれから様々な出会いと成長が待っていることでしょう。

 単行本の最終話「骨喰藤四郎」の続きは、オール讀物2019年6月号で読むことができます。章題は「童行の率先」、拾人衆のメンバーが続々と登場します。続きが早く読みやいという方はこちらも是非。

 

オール讀物2019年6月号

オール讀物2019年6月号