汗牛未充棟

読んだ本の感想などを中心に投稿します。Amazonリンクはアフィリエイトの設定がされています。ご承知おきください。

マルカ・オールダー/フラン・ワイルド/ジャクリーン・コヤナギ/カーティス・C・チェン『九段下駅 或いはナインス・ステップ・ステーション』――刑事と軍人の女性バディが分断された東京で怪事件に挑む、ドラマ仕立てのSF刑事サスペンス!

 近未来の東京を舞台にしたSF×刑事サスペンスである九段下駅 或いはナインス・ステップ・ステーション』は、ドラマシリーズ仕立ての小説となっている。というのも、本作は10のエピソードからなる連作短編の形式をとっており、日本人の刑事とアメリカ人の軍人の女性コンビが各エピソードで事件を解決していく一方で、裏ではより大きな事態が進行していくという構成をとっているのだ。

 執筆はマルカ・オールダーフラン・ワイルドジャクリーン・コヤナギカーティス・C・チェンという4人の作家が2~3つのエピソードをそれぞれ担当し、訳者についても吉本かな野上ゆい立川由佳工藤澄子の4名がそれぞれの作家を担当している。

 

 

 本作の大きな特徴は、中国とアメリカによって分割統治された東京が舞台ということだろう。大地震をきっかけに日本に侵攻してきた中国は、九州と東京の西側を掌握。東京の東側も、それに呼応したアメリカによって、管理下に置かれてしまったのだ。

 こうして震災と侵略の傷痕が深く残る東京で起こる怪事件に対し、警視庁の刑事である是枝都と、そこに出向することになったアメリカ平和維持軍のエマ・ヒガシの女性バディが挑んでいく。

 

 刑事ドラマのバディものというと、最初は反りが合わず衝突してばかりの二人が、次第に打ち解けていき、最後には唯一無二のパートナーになるというのが、定番の展開だろう。ところが都とエマについては、衝突するというよりも、互いに気を遣いあって溝が生まれており、そうした微妙な空気感が何ともリアルに描写されている。

 それというのも、二人とも上司の命令でそうしているだけで、望んで組んだバディではないのだ。そんな二人が、事件の解決を通して、少しずつ信頼しあい、距離を近づけていく。

 また日本の警察組織という男性中心主義な環境も、二人が連帯を強める一因となっているだろう。そもそも、出向してくるエマのパートナーに都が選ばれたことも、「アメリカ人はセクハラにうるさいから、女性と組ませたほうがいいと思ったんだよ(p.15)」という、なんだかいろいろ舐めくさった理由による。

 こういう男性中心な組織の体質や、ほかにも同性愛への不寛容さなど、日本のダメな空気感がわりとリアルに再現されているように感じた。また九段下署*1を中心とした東京の地理も細かく描写されており、日本のガワを被ったアメリカドラマという印象はそれほど強くなかった。

 

 またドラマシリーズ仕立てと言ったが、『PSYCHO-PASS』のようなSFアニメとしても見てみたい。それというのもエマの装備が、とても映像映えしそうなかっこよさなのだ。元々スナイパーであるエマは、格納筒によって複数のドローンを運搬し、有事の際は展開したドローンと機械化した片目をリンクさせて、索敵、狙撃、監視、追跡など様々に運用する。

 惜しむらくは「ドローン」や「格納筒」という単語が出てくるだけで、それがどのような形状なのか特に説明がないことだろうか。この他にも、作中では「スリーブ」という腕に装着する形式のマルチ情報端末が一般化しているようなのだが、それについても機能や形状の説明がまるでない。

 4人の作家が共同で執筆している以上、この辺のガジェットの設定は共有しているはずなので、読者にも開示してほしいと感じた。

 また、「顔のない死体」や「コインロッカーに放置された腕」など奇妙な事件と意外な結末はあるものの、それらを繋ぐ事件の背景の機序が、よく理解できないものが多かったように思う。「いま何でその結論になったの?」と読んでいて何度も疑問に思ったが、この辺は私が親切な小説に慣れすぎたというのもあるかもしれない。

 

 物語の終盤については、これもドラマシリーズらしく、シーズン2への引きがたっぷりとなっているので、続巻の刊行があるのかどうか注目したい。

*1:本来の警視庁本部は戦争で損なわれたため、九段下に本部が移された。

月原渉『九龍城の殺人』――多様な文化と欲望が渦巻く香港は九龍城、3人の少女の絆が試される

 これぞ九龍城といったような密集した建築物の中に佇む一人の少女が描かれた、雰囲気満点の表紙が目を惹く本作。あらすじから百合の気配を感じて手に取った一冊だったが、妖しい魅力を湛えた香港の地と、そこで出会った三人の少女たちの絆が美しい、期待以上の冒険活劇&ミステリ小説だった。

 

 

 著者の月原渉は、2010年に『太陽が死んだ夜』で鮎川哲也賞を受賞してデビュー。新潮文庫nexからは『首無館の殺人』や『犬神館の殺人』など、ノンシリーズのミステリ小説をいくつも発表している。今回紹介する『九龍城の殺人』もその中の一冊となっている。

 

 物語の舞台となるのは80年代の香港。主人公の新垣風(アラガキ フウ)は、亡くなった母親の遺骨を、香港に住む祖母に届けるために日本からやってきていた。初めて降り立った香港の地で、風は次のような光景を目にする。

 広東語と英語が混然となって輝くネオンの群れ。ノイズ雑じりのラジオ。蒸し暑さと、濃密な漢方、海鮮、酒、たばこ、人々の体臭などが入り混じった空気。(p.40)

 80年代の香港といえば、まだイギリスから中国に返還される前の時代であり、様々な文化が混ざりあった独特な異国情緒が、作品全体を魅力的に彩っている。

 その香港の地で、風の母方の祖母であるシェリーは、風姫(フォンジェン)という、女性のための裏社会コミュニティを率いていた。風の母は、本来この風姫のリーダーを引き継ぐ予定だったが、日本人の父と駆け落ちをして、風が生まれたということらしい。

 無事に遺骨を渡し終えた風が、香港で行方をくらませたという父親を捜すことを決意するというのが、物語の導入となっている。

 

 人探しをするといっても、香港は風にとってはまったく馴染みのない土地。そんななか、彼女は二人の同年代の少女と親しくなる。

 一人はインド系香港人シャクティ・サマンサ。風姫の構成員であり、シェリーの妹の孫であるシャクティは、風とは又従姉妹の関係になる。

 人目を惹く派手な容姿と、鍛えられた肉体を持ち、真っ赤なオープンカーを駆るシャクティ。喧嘩っ早くてトラブルメーカーな一面もあるが、面倒見もよく、姉御肌といった印象がある。

 そんなシャクティは、女性を助けるためのコミュニティでありながら、裏社会との軋轢を避けるためにその理想を全うしきれない現在の風姫の姿勢に、思うところがあるらしい。

 そのシャクティの紹介で風が出会ったのが、紅花(ホンファ)というもう一人の少女。いっそ非人間的なほどの美貌をもつ彼女は、九龍地区のはずれにある貧民街の朽ちかけた教会で、聖母院を運営して暮らしていた。

 孤児やアヘン中毒者など、社会から見捨てられた人々に無償の支援を提供する紅花の姿は、まさに聖女そのもの。そんな彼女は、聖母院に集まる人々を救うために、風姫の支援を必要としていた。

 それぞれ立場の違いはあるものの、二人の少女との仲を深めていく風。しかし楽しい時間も束の間、まるで時限爆弾がタイムリミットを迎えるように、とある事件が起きてしまう。

 

 ここでキーワードを一つ紹介したい。それが「妹仔(ムイジャイ)」というもの。これは富裕層が貧しい家庭の子女を、使用人や養女として引き取る制度のこと。時代によってはこの制度が貧困層の救済手段として、うまく機能していたこともあったのかもしれないが、作中の80年代においては、もはや人身売買の一形態にすぎない。

 その妹仔を専門に取り扱う九龍の「城」の中で、とある不可思議な殺人事件が発生する。それに巻き込まれてしまった風たちは、事態をうまく解決に導くことができるのだろうか。

 

 香港の裏社会をめぐる冒険活劇要素と、奇妙な事件を解き明かすミステリ要素の両方を楽しめる作品。

 また、「蘇芳の国の風姫」とも呼ばれる風姫には、蘇芳にまつわるとある逸話が伝わっているのだが、それは要するに血を分けた兄弟が袂を分かってはいけないというマフィアの掟のようなもの。その裏社会の掟が、新たな意味を示すものに様変わりするラスト*1が特に素晴らしかったので、ぜひ手にとっていただきたい。

西尾維新『怪盗フラヌールの巡回』――"誰にでも開けられる"金庫と密室殺人事件、深海の研究所を舞台に返却怪盗が暗躍する!

 『クビキリサイクル 青色サヴァン戯言遣い』でのデビューから20周年の節目を迎えた西尾維新。その記念作品として、新シリーズの第一弾『怪盗フラヌールの巡回』が刊行された。

 「怪盗」とはいうものの、お宝を盗むのではなく、返却することがフラヌールの活動方針。とある理由から、亡き父である初代フラヌールが盗み出したお宝を、次々と返してまわっているのだ。そんなフラヌールだったが、侵入した先でとある不可解な密室殺人事件に巻き込まれてしまうのだった。

 絶海、というより深海の孤島で暮らす研究者たち、そこで起きる密室殺人など、うっすらと『クビキリサイクル』を思わさる設定だが、その頃から読み続けている読者も、久し振りに西尾作品を読むという読者も満足できる一冊となっているのではないだろうか。

 

 

 改めて作品の概要を紹介すると、舞台は瀬戸内海の海底に作られた国立の研究機関「国立乙姫島海底大学」。まるで竜宮城のごときその施設から、初代フラヌールは「玉手箱」を盗み出したのだという。

 作中では既に故人となっている初代だが、そのあり方は典型的なエンタメ作品における怪盗そのものであったことが伺える。すなわち知力に優れていて、警察を翻弄しながら盗みを行うが、無闇に人を傷つけず、さらには色恋に積極的というキャラクター像だ。

 しかし盗品を返却する”アンチ”怪盗ものな本作。ときにはヒーローのように描かれるそうした怪盗像に、所詮は犯罪者に過ぎないとNOを突きつけるのが、主人公である二代目フラヌールだ。それ故に、泥臭く努力を重ねる二代目フラヌールの、スマートさとはほど遠い姿が印象的だ。

 そうした努力で情報収集を重ねた末、「玉手箱」を返却するために潜入した二代目フラヌールだったが、その過程で二人の強敵を呼び寄せてしまう。

 一人はかつて初代フラヌールを逮捕したこともあるという東尋坊警部。その実績から「警察庁怪盗対策部」を任されているが、初代フラヌールの活動停止に伴い、実質的に閑職となってしまっている。怪盗の手口を知り尽くしている東尋坊警部は、まさに怪盗ものの正統派ライバルキャラといった印象だ。

 問題なのはもう一人の強敵、名探偵・涙沢虎春花(うるさわ とらはるか)である。エレベーターを一人で埋め尽くすほどの豪奢なドレスに、トーテムポールの如く髪を結い上げた髪。マリー・アントワネットもかくやという風貌だが、捕まえた犯人をギロチンで処刑しようと言い出すような、思想まで前近代な要注意人物だ。実際警察庁をはじめ、様々な公的機関を出入り禁止にされているそうだが、探偵としての実力は折り紙付きというのだから逆に手に負えない。

 そんなライバルたちに囲まれながら、フラヌールは「玉手箱」が過去に収められていた金庫挑む。登場人物に曰く、”誰にでも開けられる”密室であるというその金庫、フラヌールはどう攻略するのであろうか。

 そして物語はこれでは終わらない。フラヌールの返却に並行して、施設内で不可解な密室殺人事件が発生してしまうのだ。しかも犯人はフラヌールに罪をなすりつけるような状況を作り上げていた。フラヌールは自分の正体を隠したまま、真犯人に挑む。

 このように盗品の返却に並んで、密室殺人の解決が物語の要点となるが、西尾作品が本格ミステリというよりも、キャラクター小説としての要素に重点が置かれていることは、読者であれば周知の事実だろう。だからこそ、本作でもホワイダニットの部分に注目していただきたい。なぜ事件は起きてしまったのか。または、その犯行によって犯人は何を為そうとしたのか。

 西尾作品の登場人物は誰も彼もがどこか歪つで、ぶっ飛んだ性格をしているが、それ故に善人にも悪人にもどこか魅せられる。20年経っても変わらない西尾キャラクターの魅力を楽しむことができる一冊になっている。

 また、巻末にはシリーズ次回作の予告が掲載されている。あいも変わらず見切り発車だと思われるが、返却怪盗フラヌールとの再会に期待したい。

柴田勝家『メイド喫茶探偵 黒苺フガシの事件簿』――その道のプロが遂にメイド喫茶を舞台に!推したり推されたりの錯綜する人間関係に注目。

 常日頃からメイド喫茶を愛好し、時にはメイド喫茶で執筆をすることもあるらしい作家・柴田勝家。そんな氏が遂にメイド喫茶を舞台にしたミステリー小説を刊行した。

 推したり推されたりの関係が複雑に絡み合う濃いめな人間関係を、クールなベテランメイド・黒苺フガシが解きほぐす。

 

 連作短編集となっている本作の第1話「すていほぉ〜む殺人事件」は『ステイホームの密室殺人2 コロナ時代のミステリー小説アンソロジー』(2020, 星海社FICTIONS)が初出。これはその名の通りコロナ禍の日常を舞台にしたミステリーのアンソロジーで、本作もメイド喫茶に通えなくなった主人公が、配信を見ているという場面から物語が始まる。

 

 例にもれずメイド喫茶もコロナ禍の影響で営業休止に追い込まれ、主人公の推しのいるメイド喫茶〈はぴぶる〉は、再開までの繋ぎとしてメイドによる配信を始めたの。

 その配信の最中、時間と場所を指定して直接話したいという不審な書き込みがされる。いわゆる「繋がり厨」のものと思われる書き込みで、メイドにも相手にされていなかったようだが、主人公の"ボク"はそんな繋がり厨の正体を確かめるため、指定された場所で張り込むのだった。

 そしてそこに現れたのが、メイド喫茶探偵・黒苺フガシである。彼女は自分もメイドであり近く〈はぴぶる〉で働く予定だという。それではなぜ、同僚となるメイドに無理に会おうとしたのか。

 やがて主人公は〈はぴぶる〉で起きてしまった密室殺人事件に、成り行きで巻き込まれていく。

 

 メイド喫茶専門の探偵を自称する黒苺フガシが関わる事件は、当然メイド喫茶やコンセプトカフェといった店舗が舞台になる。

 そういった世界観をより理解するためにも、補助線となるようなとある連載記事を紹介したい。それが集英社のウェブメディア「よみタイ」に掲載されている「柴田勝家が戦国メイドカフェで征夷大将軍になる」だ。

 ここでは、柴田勝家メイド喫茶に通うようになったきっかけから始まり、行きつけとなった戦国メイドカフェでの、様々なメイドさんや常連客とのエピソードが綴られている。

 

 本作やこの連載を読むと、界隈の人間関係の近さが感じられる。これがアイドルとファンの関係ならば、舞台と客席や、スクリーンによって隔てられ、一定の距離が保たれるだろう。

 しかしメイド喫茶では店舗内という狭い空間で直接交流することができる。接客するメイドと客の関係はもちろん、客同士の関係すらもより密接なものになるだろう。

 こうした人間関係の近さが魅力となる一方で、時にはトラブルも引き起こしてしまうのは想像に難くない。

 そんなとき、メイドとして内部に入り込み、トラブルを解決するのがメイド喫茶探偵・黒苺フガシなのだ。

 

 ところで本作の語り手である"ボク"は、探偵の助手役も務める。しかしいくら助手とはいえ、お客である"ボク"がメイドの黒苺フガシに帯同することに、問題はないのだろうか。そもそも二人の出会いのきっかけからして、"ボク"がメイドと私的に繋がろうとした輩の正体を暴こうとしたことが発端である。

 しかし、そこは安心。とある妙手によって解決されているのだが、ぜひそれは実際に読んで確かめてほしい。

宮澤伊織『神々の歩法』――少女と戦闘サイボーグたちが”神”に挑む。『裏世界ピクニック』著者のSFレーベルデビュー作が遂に刊行!

 

 

 早川書房より刊行中の『裏世界ピクニック』シリーズがアニメ化もした宮澤伊織。彼のSF作家としてキャリアのスタートでもある『神々の歩法』が、遂に東京創元社から刊行された。

 

 「神々の歩法」の初出は、2015年の創元SF文庫『折り紙衛星の伝説 年間日本SF傑作選』。第6回創元SF短編賞の受賞作として掲載された。受賞以前からTRPGライトノベルの分野で活躍していた宮澤伊織だが、娯楽SFとしてのクオリティの高さを評価され同賞を受賞。SF作家としての再デビューを果たす。

 その後は先述の『裏世界ピクニック』など早川書房から出版が続くが、その合間に東京創元社のアンソロジーからもいくつかのSF短編を発表している。

 

 今回はその「神々の歩法」のほか、アンソロジーに掲載済みの2編と書き下ろし1編を加えた連作短編集となっている。

 そんな本作の物語は、アメリカから来たウォーボーグの部隊が、廃墟となった北京を進軍する場面から始まる。ウォーボーグとは戦闘に特化したサイボーグのこと。戦争のためにあるような彼らだが、此度の目標は軍隊ではなく、たった一人の男だった。

 その男は突如として北京の上空に飛来すると、奇妙なステップを踏み始める。すると街中から火柱が立ち昇り、瞬く間に都市全体を焼き尽くしてしまったのだ。

 そんな神とも見紛う男に挑むウォーボーグたちだったが、炎を自在に操る男相手にまったく歯が立たない。あわや壊滅といったところで空から割って入ったのは、足元に青い炎をまとった一人の少女だった。少女の名前はアントニーナ・クラメリウス。彼女もまた炎を操って男に対抗するのだった。

 

 ここで男やニーナの正体についてネタバレしてしまうと、彼女たちは神ではなく、地球外からやってきた高次元の生命体に憑依された存在なのである。遠い宇宙で起きた超新星爆発によって吹き飛ばされたその生命体たちは、永い漂流よって変質してしまい、たまたま憑依した人間の精神と混ざり合って、暴れだしてしまう。

 そんななか、憑依をされたものの、たまたま精神の融合を免れたニーナと、隊長のオブライエンをはじめとしたウォーボーグたちが協力して、次々と地球にやってくる高次元生命体に対処するというのが、本作の概要となっている。

 そう聞くと異能バトルものといった印象を受けるかもしれないが、高次元生命体の在り方や憑依先も様々であり、対人戦闘よりも何らかの奇妙な現象に対応するといった展開が多い。「誰と戦うか」よりも「何が起きるのか」に注目して読んでほしい

 

 またその他にも人間関係の行く末にも注目したい。ニーナは十代半ばの少女の見た目をしているが、事情があってその精神はより幼いものとなっている。そんな彼女に憑依した〈船長〉も、理性は保っているが、時にはまったく会話できないほどの鬱状態にある。簡単に都市を滅ぼせるほどの力を持ちながら、両者ともに不安定な精神構造をしているのだ。

 そんな彼女と信頼を築こうとするオブライエンらウォーボーグたちは、みな善良な大人ではあるのだが、実はひとつボタンを掛け違えれば崩壊しかねない危険を常にはらんでいるのであった。

 

 本作の主要人物であるニーナと〈船長〉、それにオブライエンたちは、それぞれ別種の孤独を内に抱えている。そんな彼らが絆を深めていくことができるのか。創元日本SF叢書からはまだシリーズ作品は刊行されていないようだが、本作のシリーズ化に期待したい。

日本SF作家クラブ編『2084年のSF』――新しい作家の発掘にオススメ、近未来SFのショーケース!

 

 

 日本SF作家クラブによる「2084年」がテーマの書き下ろしアンソロジー日本SF作家クラブからは昨年の4月にも『ポストコロナのSF』というアンソロジーが刊行されているが、執筆陣は被りなし。23人のSF作家が新たに短編を寄せている。大御所の多かった前回に比べ、今回は10年代・20年代デビューの若手が多く参加しているようだ

 

 テーマである「2084年」は、「1984年」に100年を足した数字。『1984年』といえばもちろんジョージ・オーウェルによるディストピアSFの古典的名作だ。そうはいっても23人の作家全員がディストピアSFを書いているわけではない。テーマに対してどの程度寄り添うかは作家ごとに濃淡があり、単純に近未来SFのショーケースとして読むことができる

 

 ちなみに『1984年』は一つの党が独裁を行う超全体主義の国家を舞台に、記録を改ざんする職に就く主人公のウィンストン・スミスが反政府活動に惹かれていく様を描く。作品としては監視社会を描いたものという印象が強いのではないだろうか。実際にウィンストンたち党員は、自宅においてもテレスクリーンという装置によって常時監視され、片時も気の休まるときがない。

 

 このアンソロジーには、そんな管理・監視社会が全体主義の成果ではなく、介護・福祉の延長で(部分的に)成立した社会を書いたものがいくつかあった。

 竹田人造「見守りカメラ is watching you 」もその一つ。老人ホームを舞台に、92歳の佐助と83歳のグエンのコンビが脱走劇を繰り広げる。

 佐助は老人ホームに入所して以来、一度も姿を見せない娘のカオルに会うために施設からの脱走を図るが、入居者は機械によって常に監視されている。佐助は脱走しようとする度に介護ドローンや警備ドローンによって阻止されてしまうのだった。

 もちろんドローンたちは直接的な暴力は振るわない。しかし年相応に認知機能が低下してしまっている佐助は、ドローンによって言葉巧みに誘導されてしまうのだった。そこで佐助とグエンは、それぞれの前職で培ったスキルを活かし、ドローンの監視を突破するための策を練る。

 過去作の例にもれず男性バディによるドタバタ劇で、非常に楽しく読める一作だが、一方でドローンたちの振る舞いに少し恐ろしいものを感じた。

 例えば脱走を阻止する方法の一つとして、まずはじめに警備ドローンが道を塞ぎ、向かってきた脱走者にわざと倒されたふりをする。そこですかさず介護ドローンが「暴走したドローンを倒してくれてありがとう」と声をかけるのだ。それによって脱走者の意識は「施設のピンチを救った」という物語に上書きされ、当初の目的を忘れてしまう。

 シチュエーションこそ笑いを誘うが、この物語による認知へのハッキングともいえる行為は過去から現在に至るまで、権力者によって頻繁に利用されていたのではないだろうか。

 今なお終結の見えない悲惨な戦争行為においても、加害側の国民は権力者がばら撒く物語によって、その正当性を信じ込まされているのかもしれない。何より自分自身が、権力に都合のいい物語の影響を受けていないと断言できないことが恐ろしい。

 なお、本作は早川書房の公式noteにて、全文が公開されています。(2022/7/12 現在)

 

 恐ろしいといえば、このアンソロジーを読むにあたってはじめて『1984年』を読んだ私が、一番恐ろしく感じたのは主人公の職務内容だった。

 この国において、指導者であるビッグ・ブラザーの演説や、政府の公式発表に間違いがあってはならない。そのため、例えばチョコレートの配給は減らさないと発表したにも関わらず、配給が減ることになった場合、新聞等に記された過去の記録をすべて”修正”して、正しかったことにするのだ。

 修正にあたっては、修正したという事実も全て闇に葬られるため、もはや誰も過去の正確な記録を参照することはできない。公務文書の保存の大切さを痛感させられる。

 この記録の抹消というテーマを意外な形で物語に取り込んだのが、斜線堂有紀「BTTF葬送」だ。「BTTF」は1985年に公開された映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のこと。

 言わずとしれた傑作だが、作中では近年になって「BTTF」のような傑作映画が生まれなくなっていた。しかもその原因は映画の魂が枯渇したからだという、驚きの理論が提唱される。新たな傑作を生むためには、過去の名作を人々の記憶から葬り去り、魂を解放しなければならない。そういった理由で葬り去られる映画の、最後の上映会で、ある事件が勃発する。

 ぶっ飛びな理論だが、読み応えは十分。そして、名作は時を越えて残り続けるのだという強い意志を感じられた。

 

 また、『1984年』には二重思考(ダブル・シンク)という思考法が登場する。これは先ほどの例えで言えば、チョコレートの配給は減らさないという発表があったことを記憶しながら、表向きはそのことを忘れ、あたかも最初から配給が減ると発表されていたかのように振る舞うための思考法だ。

 空木春宵「R__ R__」は、この二重思考を実験的に作品に取り入れた。

 「R__R__」はとある理由から拍動(ビート)が禁止された世界が舞台。そんな世界で女学生の主人公はある朝、通学電車の車内で、ビートを刻む同級生の少女マウジーを目撃する。

 実はこの世界の人々は思考法にとある制限をかけられており、ビートはその制限を無効化してしまうため禁止されていたのだ。マウジーによってビートを具えた音楽、すなわちロックン・ロールを聞かされた主人公は、マウジーとふたり裏社会の音楽活動に関わっていく。

 主人公はビートによって本来の思考を取り戻していくが、その過程で制限された思考と本来の思考が二重で並走する。それがどのような文体で表現されているかは、ぜひ実際に読んで確かめていただきたい。

 また「ガール・ミーツ・ガール」、「抑圧してくる社会への反抗」という点など短編集『感応グラン=ギニョル』に通じるところも多いが、ビターエンドの印象が強かった短編集の作品に比べて、「R__ R__」はかつてなくポジティブな結末だと私は感じた。『感応グラン=ギニョル』が良かったという人には特におすすめしたい一作だ。

 

 以上、オーウェルの『1984年』に絡めて三作を紹介したが、冒頭に書いたように、多様な近未来を様々な作家が描き出している。

 無眠技術が実現し、人々から睡眠時間がなくなった社会を舞台に、生産性の有無で人の価値を計る社会の歪みを炙り出した逢坂冬馬「目覚めよ、眠れ」。人の情動を制御する装置が幼い養育子たちから何を奪ったのかを明らかにする門田充宏「情動の棺」などなど。読み応えのる作品が目白押しとなっており、SFの新しい才能に出会いたい人にはうってつけの一冊だ。

竹田人造『AI法廷のハッカー弁護士』――傲岸不遜なハッカー弁護士&「得意科目は道徳」な依頼人バディ 対 超個性的な証人たちの法廷バトル!

 デビュー作『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』では、ごく近未来のAI技術をテーマに痛快なクライムサスペンスを仕上げた竹田人造。第二長編となる本作では、同じく男性バディが主人公AIをテーマとしながらも、法廷に舞台を移し、超個性的な登場人物たちが壮絶なバトルを繰り広げる

 

 

 本作の内容について説明するためには、まずタイトルに注目するのが手っ取り早いだろう。つまり「AI法廷」と「ハッカー弁護士」とは何であるかということだ。

 「AI法廷」とは、端的に言えば、AIが裁判官を務める法廷のこと。検察官と弁護士は、それぞれAI裁判官の前で被告人質問や証人尋問を行い、それらを基にAIが判決を下す

 訴訟大国アメリカで生まれたこの仕組みは、省コスト化によって訴訟の回転率を上昇させる上に、誤解や偏見のない法の執行が行われるという触れ込みで導入された。しかし、運用にあたって本当に問題がないのかというとそうでもない。それは仲間内からハッカー弁護士」とも呼ばれる本作の主人公、機島雄弁の存在が証明している。

 ハッカーと言っても、「カタカタカタ ッターン!」で証拠や判決を改ざんするわけではない。AI裁判の運用の穴をついて勝利をもぎ取るのが機島雄弁という男だ。

 しかしクラッキングをしないといっても、後ろ暗いことが全くないわけではない。とあるアクシデントによって機島雄弁は、依頼人でもあり本作のもう一人の主人公・軒下智紀とコンビを組むことになるのだった。

 

 全4章で4つの事件を扱う本作は、この一冊できれいに物語を完結させている。しかしもっと彼らの活躍を見たくて仕方がない。それだけ主人公コンビをはじめとした登場キャラクターの誰もかれもが、非常にキャッチ―に書かれている。

 キャラ作りについてはインタビューで著者本人が「どんなキャラクターでも長台詞を書けるようにしたい」と述べている*1が、長台詞に限らず、キャラクターの人となりを端的に表すような台詞回しが目を引く

 

 私のお気に入りは自意識過剰だと言われた機島雄弁の「お言葉ですが、私の自意識はジャストフィットです」という返しの台詞。高級ブランドの衣服を身に着け、尊大で傲岸不遜に振る舞う機島の態度は、確かに一見自意識過剰に見える。しかしそれらの態度がただの増長からくるものではなく、明らかにコントロールされたものであるからこそ、この機島雄弁という主人公が、とても魅力的な存在になっている。

 また、完璧人間というわけでもなく、例えば美術品に対する鑑定眼が絶望的といったような、わかりやすい欠点があるところも絶妙に愛らしい。

 

 そんな機島とコンビを組むことになる軒下智紀もまた、面白いキャラクターになっている。プロフィールにもある通り、道徳を「得意科目です」などとのたまう彼。わかりやすい評価基準を持たない道徳が「得意」というのは何事かといったところだが、その正体は読んで確認していただきたい。そんな彼はAIにも匹敵する、とある能力で機島をサポートすることとなる。

 

 登場キャラクターからもう一人、一つ目の事件で検察側の証人として登場する井ノ上翔を紹介したい。若くして成功したカリスマ実業家であり、大規模なオンラインサロンも運営しているという彼は「イエス。井ノ上、イノベーションという決め台詞を何度も口にする。尊大という点では機島と変わりないが、この決め台詞からはより自意識の強さを感じさせ、機島とはよい対称になっている。

 井ノ上以降も、毎回超個性的なキャラクターが検察側の証人として登場するため、そこにも注目してほしい。

 

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