汗牛未充棟

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月原渉『九龍城の殺人』――多様な文化と欲望が渦巻く香港は九龍城、3人の少女の絆が試される

 これぞ九龍城といったような密集した建築物の中に佇む一人の少女が描かれた、雰囲気満点の表紙が目を惹く本作。あらすじから百合の気配を感じて手に取った一冊だったが、妖しい魅力を湛えた香港の地と、そこで出会った三人の少女たちの絆が美しい、期待以上の冒険活劇&ミステリ小説だった。

 

 

 著者の月原渉は、2010年に『太陽が死んだ夜』で鮎川哲也賞を受賞してデビュー。新潮文庫nexからは『首無館の殺人』や『犬神館の殺人』など、ノンシリーズのミステリ小説をいくつも発表している。今回紹介する『九龍城の殺人』もその中の一冊となっている。

 

 物語の舞台となるのは80年代の香港。主人公の新垣風(アラガキ フウ)は、亡くなった母親の遺骨を、香港に住む祖母に届けるために日本からやってきていた。初めて降り立った香港の地で、風は次のような光景を目にする。

 広東語と英語が混然となって輝くネオンの群れ。ノイズ雑じりのラジオ。蒸し暑さと、濃密な漢方、海鮮、酒、たばこ、人々の体臭などが入り混じった空気。(p.40)

 80年代の香港といえば、まだイギリスから中国に返還される前の時代であり、様々な文化が混ざりあった独特な異国情緒が、作品全体を魅力的に彩っている。

 その香港の地で、風の母方の祖母であるシェリーは、風姫(フォンジェン)という、女性のための裏社会コミュニティを率いていた。風の母は、本来この風姫のリーダーを引き継ぐ予定だったが、日本人の父と駆け落ちをして、風が生まれたということらしい。

 無事に遺骨を渡し終えた風が、香港で行方をくらませたという父親を捜すことを決意するというのが、物語の導入となっている。

 

 人探しをするといっても、香港は風にとってはまったく馴染みのない土地。そんななか、彼女は二人の同年代の少女と親しくなる。

 一人はインド系香港人シャクティ・サマンサ。風姫の構成員であり、シェリーの妹の孫であるシャクティは、風とは又従姉妹の関係になる。

 人目を惹く派手な容姿と、鍛えられた肉体を持ち、真っ赤なオープンカーを駆るシャクティ。喧嘩っ早くてトラブルメーカーな一面もあるが、面倒見もよく、姉御肌といった印象がある。

 そんなシャクティは、女性を助けるためのコミュニティでありながら、裏社会との軋轢を避けるためにその理想を全うしきれない現在の風姫の姿勢に、思うところがあるらしい。

 そのシャクティの紹介で風が出会ったのが、紅花(ホンファ)というもう一人の少女。いっそ非人間的なほどの美貌をもつ彼女は、九龍地区のはずれにある貧民街の朽ちかけた教会で、聖母院を運営して暮らしていた。

 孤児やアヘン中毒者など、社会から見捨てられた人々に無償の支援を提供する紅花の姿は、まさに聖女そのもの。そんな彼女は、聖母院に集まる人々を救うために、風姫の支援を必要としていた。

 それぞれ立場の違いはあるものの、二人の少女との仲を深めていく風。しかし楽しい時間も束の間、まるで時限爆弾がタイムリミットを迎えるように、とある事件が起きてしまう。

 

 ここでキーワードを一つ紹介したい。それが「妹仔(ムイジャイ)」というもの。これは富裕層が貧しい家庭の子女を、使用人や養女として引き取る制度のこと。時代によってはこの制度が貧困層の救済手段として、うまく機能していたこともあったのかもしれないが、作中の80年代においては、もはや人身売買の一形態にすぎない。

 その妹仔を専門に取り扱う九龍の「城」の中で、とある不可思議な殺人事件が発生する。それに巻き込まれてしまった風たちは、事態をうまく解決に導くことができるのだろうか。

 

 香港の裏社会をめぐる冒険活劇要素と、奇妙な事件を解き明かすミステリ要素の両方を楽しめる作品。

 また、「蘇芳の国の風姫」とも呼ばれる風姫には、蘇芳にまつわるとある逸話が伝わっているのだが、それは要するに血を分けた兄弟が袂を分かってはいけないというマフィアの掟のようなもの。その裏社会の掟が、新たな意味を示すものに様変わりするラスト*1が特に素晴らしかったので、ぜひ手にとっていただきたい。