汗牛未充棟

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日本SF作家クラブ編『2084年のSF』――新しい作家の発掘にオススメ、近未来SFのショーケース!

 

 

 日本SF作家クラブによる「2084年」がテーマの書き下ろしアンソロジー日本SF作家クラブからは昨年の4月にも『ポストコロナのSF』というアンソロジーが刊行されているが、執筆陣は被りなし。23人のSF作家が新たに短編を寄せている。大御所の多かった前回に比べ、今回は10年代・20年代デビューの若手が多く参加しているようだ

 

 テーマである「2084年」は、「1984年」に100年を足した数字。『1984年』といえばもちろんジョージ・オーウェルによるディストピアSFの古典的名作だ。そうはいっても23人の作家全員がディストピアSFを書いているわけではない。テーマに対してどの程度寄り添うかは作家ごとに濃淡があり、単純に近未来SFのショーケースとして読むことができる

 

 ちなみに『1984年』は一つの党が独裁を行う超全体主義の国家を舞台に、記録を改ざんする職に就く主人公のウィンストン・スミスが反政府活動に惹かれていく様を描く。作品としては監視社会を描いたものという印象が強いのではないだろうか。実際にウィンストンたち党員は、自宅においてもテレスクリーンという装置によって常時監視され、片時も気の休まるときがない。

 

 このアンソロジーには、そんな管理・監視社会が全体主義の成果ではなく、介護・福祉の延長で(部分的に)成立した社会を書いたものがいくつかあった。

 竹田人造「見守りカメラ is watching you 」もその一つ。老人ホームを舞台に、92歳の佐助と83歳のグエンのコンビが脱走劇を繰り広げる。

 佐助は老人ホームに入所して以来、一度も姿を見せない娘のカオルに会うために施設からの脱走を図るが、入居者は機械によって常に監視されている。佐助は脱走しようとする度に介護ドローンや警備ドローンによって阻止されてしまうのだった。

 もちろんドローンたちは直接的な暴力は振るわない。しかし年相応に認知機能が低下してしまっている佐助は、ドローンによって言葉巧みに誘導されてしまうのだった。そこで佐助とグエンは、それぞれの前職で培ったスキルを活かし、ドローンの監視を突破するための策を練る。

 過去作の例にもれず男性バディによるドタバタ劇で、非常に楽しく読める一作だが、一方でドローンたちの振る舞いに少し恐ろしいものを感じた。

 例えば脱走を阻止する方法の一つとして、まずはじめに警備ドローンが道を塞ぎ、向かってきた脱走者にわざと倒されたふりをする。そこですかさず介護ドローンが「暴走したドローンを倒してくれてありがとう」と声をかけるのだ。それによって脱走者の意識は「施設のピンチを救った」という物語に上書きされ、当初の目的を忘れてしまう。

 シチュエーションこそ笑いを誘うが、この物語による認知へのハッキングともいえる行為は過去から現在に至るまで、権力者によって頻繁に利用されていたのではないだろうか。

 今なお終結の見えない悲惨な戦争行為においても、加害側の国民は権力者がばら撒く物語によって、その正当性を信じ込まされているのかもしれない。何より自分自身が、権力に都合のいい物語の影響を受けていないと断言できないことが恐ろしい。

 なお、本作は早川書房の公式noteにて、全文が公開されています。(2022/7/12 現在)

 

 恐ろしいといえば、このアンソロジーを読むにあたってはじめて『1984年』を読んだ私が、一番恐ろしく感じたのは主人公の職務内容だった。

 この国において、指導者であるビッグ・ブラザーの演説や、政府の公式発表に間違いがあってはならない。そのため、例えばチョコレートの配給は減らさないと発表したにも関わらず、配給が減ることになった場合、新聞等に記された過去の記録をすべて”修正”して、正しかったことにするのだ。

 修正にあたっては、修正したという事実も全て闇に葬られるため、もはや誰も過去の正確な記録を参照することはできない。公務文書の保存の大切さを痛感させられる。

 この記録の抹消というテーマを意外な形で物語に取り込んだのが、斜線堂有紀「BTTF葬送」だ。「BTTF」は1985年に公開された映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のこと。

 言わずとしれた傑作だが、作中では近年になって「BTTF」のような傑作映画が生まれなくなっていた。しかもその原因は映画の魂が枯渇したからだという、驚きの理論が提唱される。新たな傑作を生むためには、過去の名作を人々の記憶から葬り去り、魂を解放しなければならない。そういった理由で葬り去られる映画の、最後の上映会で、ある事件が勃発する。

 ぶっ飛びな理論だが、読み応えは十分。そして、名作は時を越えて残り続けるのだという強い意志を感じられた。

 

 また、『1984年』には二重思考(ダブル・シンク)という思考法が登場する。これは先ほどの例えで言えば、チョコレートの配給は減らさないという発表があったことを記憶しながら、表向きはそのことを忘れ、あたかも最初から配給が減ると発表されていたかのように振る舞うための思考法だ。

 空木春宵「R__ R__」は、この二重思考を実験的に作品に取り入れた。

 「R__R__」はとある理由から拍動(ビート)が禁止された世界が舞台。そんな世界で女学生の主人公はある朝、通学電車の車内で、ビートを刻む同級生の少女マウジーを目撃する。

 実はこの世界の人々は思考法にとある制限をかけられており、ビートはその制限を無効化してしまうため禁止されていたのだ。マウジーによってビートを具えた音楽、すなわちロックン・ロールを聞かされた主人公は、マウジーとふたり裏社会の音楽活動に関わっていく。

 主人公はビートによって本来の思考を取り戻していくが、その過程で制限された思考と本来の思考が二重で並走する。それがどのような文体で表現されているかは、ぜひ実際に読んで確かめていただきたい。

 また「ガール・ミーツ・ガール」、「抑圧してくる社会への反抗」という点など短編集『感応グラン=ギニョル』に通じるところも多いが、ビターエンドの印象が強かった短編集の作品に比べて、「R__ R__」はかつてなくポジティブな結末だと私は感じた。『感応グラン=ギニョル』が良かったという人には特におすすめしたい一作だ。

 

 以上、オーウェルの『1984年』に絡めて三作を紹介したが、冒頭に書いたように、多様な近未来を様々な作家が描き出している。

 無眠技術が実現し、人々から睡眠時間がなくなった社会を舞台に、生産性の有無で人の価値を計る社会の歪みを炙り出した逢坂冬馬「目覚めよ、眠れ」。人の情動を制御する装置が幼い養育子たちから何を奪ったのかを明らかにする門田充宏「情動の棺」などなど。読み応えのる作品が目白押しとなっており、SFの新しい才能に出会いたい人にはうってつけの一冊だ。