汗牛未充棟

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森博嗣「リアルの私はどこにいる?」――ヴァーチャルへログイン中に消失したリアルの肉体の行方は。未来を演算するWWシリーズ第6弾!

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 今でこそ「リアル」と「ヴァーチャル」が対義語として使われているが、やがて「ヴァーチャル」がもう一つの「リアル」になりついには「ヴァーチャル」こそが「リアル」になる。そんな未来を予感させる内容だった。

 

 およそ200年ほど未来の世界を描くWWシリーズの第6弾。科学技術の発展したこの時代、人間は不老・長寿命を得た代わりに生殖能力を失っており、人工的に作られた人間”ウォーカロン”とともに社会を運営している。

 主人公のグアトはかつて、一見して区別のつかない人間とウォーカロンの判定器をつくる研究をしており、そのために数々の事件に巻き込まれた。今では前線を退き、元は日本の情報局員であったパートナーのロジとともに、ドイツで楽器職人として暮らしている。しかしその経歴のために、グアトのもとにはウォーカロン絡みの厄介ごとが頻繁に持ち込まれるのであった。

 

 今回グアトに依頼を持ち込んだのは、以前にグアトが目覚めさせた超国家的な規模の人工知能であるアミラ。彼女の紹介で引き合わされた人間の女性、クラーラ・オーベルマイヤはグアトに奇妙な体験を語る。

 なんでも職場に設置されている判定器をたまたま使用したところ、自身のことをウォーカロンだと判定されたというのだ。もちろんそうした機械に100%の精度はなく、なんらかの誤りがあったのだろうとクラーラも理解したが、事件はその後に起こる。クラーラは研究室からヴァーチャルにログインして仕事をしていたが、その間にリアルの体が消失してしまったというのだ。

 リアルの世界にログオフできず、ヴァーチャルの世界に留まらざるを得ないクラーラ。彼女は半年前に事故に遭って大きな手術を受けた際に、ウォーカロンの体に挿げ替えられてしまったのではないかと主張する。

 肉体の交換について、技術的には可能であるとグアトは判断するが、そのために必要な莫大なコストに見合う動機に説明がつかない。グアトはロジとともに調査を開始する。

 その調査の最中、彼らのもとにとあるニュースが舞い込む。中央アメリカでヴァーチャル国家が独立したというのだ。独立の手続きは民主的に行われ、移住の希望者が殺到しているとニュースは伝えるが、はたして何が起きているのだろうか。クラーラの体を探すうちに、二つの事件の意外な繋がりが見えてくる。

 

 リアルの肉体を捨ててヴァーチャルへシフトした人物は、シリーズ中でも何度か登場したが、今回は遂に国家規模でのシフトが発生した。本書は「リアルの私はどこにいる?」というタイトルだが、ヴァーチャルシフトした人物にとってはヴァーチャルの世界こそが「リアル」ということになる。いくつもの「リアル」が存在する世界で、グアトたちは真実を掴むことができるのだろうか。

 

 また、既に研究者としてはほぼ引退しているはずだが、相変わらず何らかの敵対勢力の標的にされるグアト。今回はその余波で、いつもクールに振る舞うロジの珍しい一面が引き出されていて、読者としては嬉しい展開だった。
 

森博嗣『君たちは絶滅危惧種なのか?』――動物園から消えた動物の正体は?未来を演算するWWシリーズ第5弾!

 


 科学の発展によって不老・長寿命を得た代わりに、生殖能力を失った人間。人工的につくられた人間・ウォーカロン。そして人工知能が共存する未来の社会を書いたWWシリーズ。その5作目となる本作は絶滅がテーマとなっている。

 クローン技術や、ヴァーチャルでの再現技術が発達したとき、果たして何をもって絶滅と言えるのだろうか

 

 ここでシリーズの登場人物についておさらいをしておくと、主人公のグアトは元々日本の研究者だった。前作のWシリーズでは、その研究内容が、肉体的にはまるで差異のない人間とウォーカロンの判別を可能にするものだったために、様々な事件に巻きこまれることになる。WWシリーズでは研究から手を引き、名前を変えてドイツで楽器職人として生活している。

 グアトのパートナーのロジも、Wシリーズでは日本の情報局員としてグアトの警護を行っていたが、現在は休職し、グアトとともに暮らしている。

 半ば隠遁生活を送る二人だったが、その経歴ゆえに、ウォーカロンに関わる事件が起きるとアドバイザーとして駆り出されるというのが、WWシリーズでの基本的な展開。今回グアトが遭遇するのは、動物のウォーカロンにまつわる怪事件だった。

 

 依頼主はドイツの情報局。彼らによると、とある自然公園の湖岸で重傷の男性が発見されたが、どうやらその傷は人間業とは思えないものだったらしい。そして、実はその事件の一か月前に、近くの動物園でスタッフが一名死亡し、その際に何らかの動物が行方不明になっているというのだ。

 しかもその動物は何者かに電子的にコントロールされた形跡があるらしい。そこで残された通信データから、その動物がナチュラルな存在か、動物のウォーカロン、つまり人工的に生み出されたものなのかを判別してほしいというのが、グアトへの依頼内容だった。そんなもの、動物園の職員に聞けばよさそうなものだが、動物園側にはその動物の正体を明かせない理由があるようだった。

 調査の途中、湖岸のレストランで食事をしていたグアトたちは、水中から現れた謎の巨大生物が、デッキにいた客を襲う場面を目撃する。いったい動物園は何を飼育していたのだろうか。

 

 未来の社会をシミュレートしているかのような本シリーズだが、この社会では人間社会と共存していた動物が、その数を大きく減らしているようだ。

 培養肉の普及によって家畜は取って代わられ、犬や猫などのペットも感染病の流行で数を激減させた。今ではロボットがその役目を果たしているらしい。全世界的に来場者数を減らしている動物園も、公開している動物はほとんどロボットだという。

 しかし、ヴァーチャルの動物園には数々の動物が再現されており、盛況なのだという。しかも、この時代の技術ならば、細胞さえ保存されていれば、そこからクローンを作ることができる。そのような環境において、種の絶滅とはいったい何を指すのだろうか。

 プロローグにおいて、「自然界にその個体が存在しないこと」を一般的に絶滅というのだと提示されるが、読み進めるうちに、だんだんとその認識を揺らいでいく。

 さらにその問いは人間にまで向けられる。人類すべてと言わずとも、ある個人が頭脳の活動を全て電子化して肉体を捨てたとき、その個人は生きていると言えるのだろうか。それはやがて、生きていることの価値とは何かという問いへと繋がっていく。このような問いにグアトは何らかの答えを見つけることはできるのだろうか。

 

 「人間」というものが新たな存在へとシフトしていく、その過渡期を描いているかのようなこのWWシリーズも恐らく折り返し地点。後半もどんな社会が示されるのか楽しみだ。

 

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柴田勝家『スーサイドホーム』――サンリンボー、台湾の心霊写真、呪いの荷物、”家”に潜む呪いに「助葬師」が挑む。

 

 

 サンリンボー台湾の心霊写真呪いの荷物、それらの背後に潜むものとは。とある”家”にまつわる呪い「助葬師」が挑む。

 

 柴田勝家といえば、ハヤカワSFコンテストを『ニルヤの島』で受賞してデビュー。その後「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」と「アメリカン・ブッダ」で二度も星雲賞短編部門を受賞するなど、SFジャンルでの活躍が目覚ましい。

 しかし近年の作品に絞っても、短編集『アメリカン・ブッダ』に収録された「邪義の壁」や、復活後の異形コレクションに掲載された諸作など、ホラー短編も多く執筆している

 そもそも民俗学を専門に修めてきた柴田勝家、ホラーとの相性が悪いはずもないのである。本作では章ごとに変わる語り手が、とある”家”にまつわる様々な呪いに遭遇する

 

 第1章の語り手は、一軒家に父親と二人で暮らす引きこもりの男。同じ屋根の下で暮らしながら父親とは没交渉の状態が続いていたが、隣家の火事をきっかけに父親の態度が豹変してしまう。

 男に対して容赦なく暴力を振るう父親は、しきりにサンリンボー」と口にするがどういう意味なのか。ネットに助けを求めた男は、その筋の専門家だという「助葬師」にたどり着くが……。

 

 続く第2章は打って変わってオカルトライターの遠山が語り手。ネット上で活動する覆面霊能者「助葬師」に取材を申し込んだ遠山だったが、意外にも取材を許可される。そして取材当日、待ち合わせ場所に現れたのは羽野アキラと名乗る女子大生だった。

 この女性が本当にあの助葬師なのか。半信半疑の遠山は、羽野にとある写真を見せる。台湾で撮られたというその家族写真は、一見普通の写真に見えるが、見る人が見ると何やら恐ろしいものらしい。羽野を試そうとした遠山だったが、その写真を見た羽野は驚きの行動をとるのだった

 

 そして第3章は、とある動画配信者に依存する女子大生・古河まちかが語り手となる。

 ある日古河が一人暮らしの下宿に帰ると、送り主不明の汚い段ボール箱が宅配されていた。不快に思う古河だったが、ちょうどそのタイミングで推しの配信者が「呪いの荷物」について配信で取り上げていた。もしかしたらこれは推しと繋がれるチャンスかもしれない。

 呪いの荷物について調べようとする古河だったが、何かと反りの合わない同じゼミの学生・羽野アキラと、なぜか一緒に調査することになるのだった。

 

 これら3つの事件、一見関連性を感じさせないが、物語が進むにつれて少しずつリンクが見えてくる。その僅かなリンクが想像力を掻き立て、ページをめくる手が止まらない。一連の事件の背後にはいったい何が潜んでいるのだろうか。

 

 章ごとに語り手が変わる構成となっているが、実質的な主人公である助葬師・羽野アキラは、飄々とした口調でどこまで見透かしているのかわからない雰囲気が魅力的。個人的には古河まちかとのコンビがもっとみたいので、続編・シリーズ化に期待したい。

牧野修『MOUSE マウス』――大人は立ち入り禁止、子供のためのネバーランド。ドラッグジャンキーなマウスたちの生存と闘争。

 


 ラバーやビニールの衣服に身を包み、常時ドラッグ漬けの子供たち。主観と客観の入り混じった子供だけの世界で、彼ら彼女らはどのように生きているのか。

 

 2022年4月16,17日に代官山蔦屋書店で開催されたSFカーニバル。そのイベントの企画の一つとして日本SF作家クラブが選ぶ偏愛SF200とちょっと」というリストが公開された。これはクラブの会員が新刊・既刊・絶版問わず、また冊数も無制限で、読んで欲しいSFをリストアップしたというもの。

 SFカーニバルは終了しているが、この選書リストは6月30日までイベントのサイトから閲覧することができる。

 このリストの中で、私の推し作家・空木春宵が挙げていたのが、今回紹介する牧野修『MOUSE マウス』だった。本書は94年から95年にかけてSFマガジンで発表された4つの短編に書き下ろし1作を加えて、96年に刊行されている。

 

 ネバーランドと呼ばれるその土地は、かつてはゴミの埋め立て地の上につくられたニュータウンだった。しかし地盤の緩さからやがて住民は撤退、廃墟となったその地には行き場のない子供たちが集まった

 子供たちは身に着けたカクテル・ボードによって四六時中様々なドラッグを摂取し、そのドラッグ代を稼ぐために男女問わず躰を売って暮らしている。タイトルにもなっている「マウス」とは、そうやっていくつものドラッグを自分の躰で試す子供たちのことを意味している。この連作短編では、そんなマウスたちの生活が、様々な視点から描かれている。

 

 実質的に無法地帯となっているネバーランドでは小競り合いも頻繁に起こるが、常時ドラッグ漬けな子供たちの戦い方が面白い。彼らは言葉によって相手を「落とす」のだ。ドラッグが効いているときに無意味な言葉で相手の不意をつくと、バッドトリップしてしまうらしい。

 一つ目の短編の主人公であるツクヨミは、例えば「走るマラルメ」といったような何の意味もない言葉をささやくことで相手を昏倒させ、ドラッグを巻き上げていた。

 ちなみにツクヨミというのは彼のネバーランドにおいての名前であり、外部の大人に名乗るときはさらに別の名前を使う。これは相手に名前を知られていると、一方的に落とされてしまうからだ。このような戦い方がまるで呪術のようで面白い

 またドラッグによって反射神経や集中力を引き上げるというのも、ネバーランドの子供たちにとっては基本であるが、さらに感覚を拡張し、共感覚を引き起こすものもいる。

 ツクヨミの場合は相手がまとう色を視ることによって、相手の感情や体調などがわかるらしい。このようなドラッグの影響で生じる超感覚も人によって様々で、このあたりは能力バトルもののような面白さがある。

 

 また本作では、ネバーランドの内部の物語ばかりが描かれるわけではない。私個人のお気に入りでもある4作目「モダーン・ラヴァーズ」は、両親のもとで暮らす少女が、とある事情からネバーランドへと旅立つ。

 その道中で、薬を手に入れるためネバーランドの外に出てきたピクルスという少年と出会うのだが、どうやら彼は警察らしき大人に追われているらしい。追手をかわしながら、二人はネバーランドを目指す

 ネバーランドでの生活は到底まともなものではなく、わざわざ親元を離れてネバーランドで暮らすだなんて正気でないと多くの人間が考えるだろう。しかし、この4作目では、ネバーランドで暮らす彼女ら彼らが、たとえほかに選択肢がなかったのだとしても、自ら選んでそうしているのだと示す。その選択を外野が否定したり、かわいそうだと勝手に憐れむのは正しいことなのだろうかと考えさせられる。

 この4作目を読んで、本書を推薦した空木春宵の著作「感応グラン=ギニョル」の一節を思い出した。

 「わたしたちを、憐れむな」

『GENESiS 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジーⅣ』――どちらも超個性的な第12回創元SF短編賞正賞&優秀賞受賞作も掲載!

 

 東京創元社による全編書き下ろしのSFアンソロジー第4弾。創元SF短編賞出身の宮内悠介宮澤伊織高山羽根子のほか、この《GENESiS》シリーズで小説家デビューした詩人の川野芽生、さらにはベテランの小川一水小田雅久仁の新作を読むことができる。

 また、上記の3人の他にも松崎有理、酉島伝法などを輩出した創元SF短編賞、その第12回の正賞・優秀賞受賞作が掲載されている。どちらの作品も非常に個性的かつ魅力的な小説だった。

 ちなみに特別寄稿として、鈴木力によりこれまでの創元SF短編賞の歩みがまとめられており、この《GENESiS》の創刊をきっかけに賞に注目するようになった私のような新参者にもありがたい。

 

 第12回創元SF短編賞を受賞したのは松樹凛「射手座の香る夏」。SF作品としての中核をなすは意識の転送技術。舞台となる新天浪戦略技術特区でも、地下深くなど危険な場所においては、作業員がオルタナと呼ばれる機械に意識を転送して作業を行っていた。

 そんな特区の中でとある事件が起きる。オルタナでの作業中、意識のないはずの作業員の肉体が転送室から消えてしまったのだ。しかも5人分。

 作業中、転送室は施錠されており、鍵は室内にあった。その他外に繋がっているのは換気用の小窓だけ。事件の調査にやってきた警察の神崎紗月は、小窓に引っかかった動物の毛を見つける。物語はこのようにミステリの雰囲気をまとって始まるのだった。

 ちなみにこの直後、機械ではなく動物に意識を転送する「動物乗り(ズーシフト)」という違法技術がクローズアップされる。となれば、多くの読者が密室の謎について、小動物にズーシフトした犯人が小窓から侵入して、何らかの工作を行ったと思うのではないか。しかし真実はそうではなく、もっとSF的な驚きの解答が用意されている

 紗月が調査を続ける一方、かつて紗月が袂を分かった友人の娘のである未來と李子は、仲間たちとズーシフトに興じていた。そんな未來たちの前に絶滅したと思われていた伝説の存在、凪狼(カーム・ウルフ)が姿を現す。そんな凪狼に対して無茶な「乗り継ぎ」を挑む未來たちだったが……。

 親世代と子世代、それぞれのストーリーはやがて交わり、ラストへ向かっていく。伊藤計劃の『ハーモニー』を思わせるような結末は必見だ。

 

 優秀賞は溝渕久美子「神の豚」。今から2,30年ほど未来の台湾を舞台に伝統のお祭りと家畜、そして家族の物語が描かれる。

 台北の小さな映像制作会社に勤める語り手の女性は、あるとき次兄から連絡を受ける。その内容は長兄が豚になってしまったというものだった。

 実家に帰った語り手が次兄に話を聞くと、テーブルに料理が残ったまま忽然と長兄は姿を消し、その代わりに子豚がいたのだという。語り手も次兄も本気で兄が豚に変身したと信じたわけではないだろうが、その子豚をこっそりと飼うことを決める。

 実は数年前に家畜を媒介してヒトに伝染する感染症が世界的に流行し、台湾では家畜はすべて殺処分されていたのだ。そして食肉はすべて培養肉に置き換えられてしまった。つまり子豚を勝手に飼っていると知られたら、処罰される恐れがあるのだ。

 このことを機に仕事を辞めて実家に帰ってきた語り手は、学生時代の友人が営むカフェで働き始める。その友人は春節の日のお祭りに供える「神豬(シェンチュー)」を用意する当番になっていた。

 神豬はこのお祭りのために巨大に太らせた豚のことだが、これも感染症の影響で用意できない。伝統を守るためにどうすればよいか、友人は仲間たちと頭を悩ませるのだった。

 台湾の伝統文化を背景に、人が食べるために育てる命である家畜について考えることができる佳品となっている。

 

 もう1作、個人的にお勧めしたいのは宮澤伊織「ときときチャンネル#2【時間飼ってみた】」

 新人配信者の十時さくらは、同居人のマッドサイエンティスト・多田羅未貴の研究を紹介する配信を行う。その動画の書き起こしといったスタイルの本作。#2から読んでも問題ないが、別のアンソロジーに収録された#1も、電子書籍なら単独で購入することができる*1

 多田羅が高次元のネットワーク(仮称インターネット3)から読み取った情報で行う実験は、今回もまたぶっ飛んでいて魅力的だが、もう一つの魅力もお伝えしたい。それは十時さくらと多田羅未貴の関係性。

 作中では配信外の描写は一切されないため、読者も配信者としての十時さくら(と多田羅未貴)の姿しか知ることはできない。だからこそ配信中の何気ない一言から、本当はお互いのことをどう思っているのか、読者が想像を膨らませられる隙間が用意されている。

 さくらの目標はひとまずチャンネル登録者1000人ということだが、果たして達成できるのか。そして二人の関係は変化するのかしないのか。ぜひとも続きを執筆してほしい。

 

塗田一帆『鈴波アミを待っています』――Vtuber、そしてVRの現在と未来を描く物語

 

 

 Vtuber(バーチャルYoutuber)とは2Dや3Dのキャラクターをアバターとして活動する配信者のこと。

 企業に所属しない個人勢ながら、そのVtuberとしてトップクラスの人気を誇っていた「鈴波アミ」だったが、活動一周年を記念する配信が予定時刻になっても始まらず、そのまま消息を絶ってしまう。

 視聴者の一人として配信の始まりを待機していた主人公も、突然の「推し」の失踪に強いショックを受けるが、視聴者の仲間たちと過去配信の同時視聴をしながら、復帰を信じて鈴波アミを待つのだった。

 過去配信の同時視聴は、話題を聞いてやってきた新規リスナーも交えながら、毎日和やかな雰囲気で行われていたが、やがてそこにネットの悪意が襲いかかる。そんななか、主人公はとあるVRSNSの中で、鈴波アミにつながるかもしれない僅かな手がかりを掴むのだった。
 
 この主人公だが、自分は推しの配信者にたいした貢献もできないただのいち視聴者に過ぎない、というコンプレックスが印象的に書かれている。

 例えばイラストが得意であればファンアートを描いて応援できるし、動画編集の技術があれば切り抜き動画を作って推しの魅力を拡散することができる。しかし主人公はそういったコンテンツを生み出すスキルを何も持っておらず、フリーターゆえにドネーションなどの金銭的な支援を行うことも難しい。そんな自分を主人公は「優良な視聴者ではない」と卑下するのだ。

 しかし、ファンアートなどのコンテンツを生み出せなければ優良な視聴者ではないというのは、果たして本当にそうなのだろうか。鈴波アミのために奔走する主人公を追ううちに、その答えも自ずと明らかになるだろう。*1

 

 ちなみにタイトルの「鈴波アミを待っています」とは配信の待機画面に表示される文言のこと。配信者が設定したライブ配信の開始時間になると、実際に配信が開始されるまで「○○(配信者の名前)を待っています」と画面に表示される。

 本来は期待が最高潮に膨れ上がる瞬間だが、その表示がいつまでたっても変わらないとなれば、逆に不安を象徴する文言となってしまう。

 物語の終盤、「鈴波アミを待っています」というこの文言に新たな意味が与えられる瞬間は感動必至の名場面だった。

 

 なお、本作は集英社によるジャンプ小説新人賞2020でテーマ部門《金賞》*2*3を受賞した作品を長編化したもの。長編版は賞を主催した集英社ではなく、SFに強い早川書房からの出版となった。とはいえ物語は2020年の日本を舞台にしており、コロナ禍やVtuberをめぐるネットの空気感など、かなり現実が反映されている。

 ただしVRSNSに関しては、現実よりもかなり普及、発展した社会を描いているように感じた。VRSNS(ソーシャルVR)とはバーチャル空間のなかでユーザー同士が交流できるサービスのこと*4。現実にはVRchatなどがその代表例だろうか。*5作中では「NagisaVR(NVR)」という名のこの空間が物語後半で重要な舞台となる。

 鈴波アミも失踪前はNVRから頻繁に配信を行っており、そんな彼女や主人公の知人のVR技術者の口から語られるVRの未来は、著者の先見性の現れかもしれない。

 このようにVtuberそしてVR技術の現在と未来を描いた本作だが、少し物足りなく感じるところもあった。それは本作の肝である鈴波アミというVtuberについて。

 デビューから一年足らずで大人気となった彼女の魅力は、そのトーク力にあるのだと主人公は言う。しかしその素晴らしさについて主人公が力説するばかりで、もっと具体的なリスナーとのやり取りが描写されれば、読者としてもより鈴波アミというキャラクターを愛せたように思う。

*1:2022.4.20 追記

*2:ちなみに本作が受賞したテーマは「このオビに合う小説」というもの。帯には「最後の一行で涙が止まらない!」と書かれている。https://j-books.shueisha.co.jp/prize/

*3:ちなみにちなみに、長編版の帯にはその文言は使用されていない。

*4:ソーシャルVRとは?コミュニケーションをアップデートする技術の未来 - Motto AR│PC・スマホのその次へ。あなたのチカラに、もっとAR

*5:私が把握していないだけで、VRchat内では作中のような盛り上がりを見せているのかもしれない。

小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ2』――大切な人を取り戻せ。百合もSFも大増量の第2巻!

 

 人類が宇宙に進出してから数千年。辺境宇宙のガス惑星、FBB(ファット・ビーチ・ボール)の軌道上に移住した人々は周回者(サークス)を名乗り、昏魚(ベッシュ)と呼ばれる鉱物資源を漁獲して暮らしていた。昏魚とはFBBの大気を泳ぎ回る魚のような何かのこと。そんな周回者の重要産業である昏魚の漁は、船の操縦をツイスタと呼ばれる男性が、状況に応じた船の変型をデコンパと呼ばれる女性が、夫婦となって行うと伝統的に決められていた。

 そういった因習にまみれた社会の中で、女性二人で漁を行うテラとダイオードの活躍を描く本シリーズ。前回、ダイオードを連れ去ろうとするゲンド―氏の追手から逃げようとして、ガス惑星FBBの深層に墜落してしまったテラとダイオードの二人。奇跡的に生還した前作ラストの直後から第2巻の物語は始まる。

 

 ジャコボール・トレイズ(JT)氏の船に救助された二人は、JT氏の氏族船に送り届けられるが、その場でダイオードはゲンド―氏の追手によって連れ去られ、テラもエンデヴァ氏の氏族船に送還されてしまう。ダイオードを取り戻すためにゲンド―の氏族船に潜入するテラだったが、なぜかニシキゴイ型の昏魚の漁で対決することになり、さらには周回者全体を巻き込む陰謀に巻き込まれてしまうのだった。

 

 さて、ダイオードを奪還するといっても、基本的に周回者は氏族ごとそれぞれのコロニーで暮らしているため、テラはエンデヴァの氏族船を出ることすらままならない。そもそも男女の恋愛しか想定されていない周回者の社会において、テラにとってダイオードがどういう存在なのかを理解してくれる人がほとんど存在しないのだ。

 そんなテラに対し、とある意外な人物が救いの手を差し伸べる。それは、エンデヴァ氏族長ジーオンの妻であるポヒ夫人だった。ジーオンは、前巻で女性同士の漁を認めず、漁獲対決によってテラたちの船を取り上げた人物で、保守的な周回者社会を代表するような存在だ。その妻であるポヒもまた、伝統ある家系の出身であり、今では族長の妻として氏族が継承してきた論理の中で生きている。

 ダイオードと二人、未知の世界へ飛び出そうとしているテラとは、同じ女性としても、エンデヴァ氏としても、相反する生き方をしているようにみえる。しかし二人にはもう一つ大きな共通点がある。それは二人ともデコンパであるということ。女性として、エンデヴァ氏としての共感はできなくても、デコンパとしてなら共感できる。そうしてポヒ夫人はテラに手を差し伸べるのだった。

 

 ここまでは冒頭の一幕でしかないが、実はこのあとも「デコンパ」という存在が物語のカギを握ることとなる。連れ去られたダイオードの前に現れた、新キャラクターにして、ダイオードの元ルームメイトにして、元○○の暝華(メイカ)もまた、デコンパなのだ。どうやら優秀なデコンパを集めているらしいゲンド―氏の陰謀が、尻尾をのぞかせる。

 

 また、そもそも百合SFアンソロジーから生まれた本作だが、2巻では百合成分もパワーアップされている。

 前回、お互いの気持ちを確かめあったテラとダイオードの二人だが、それで何もかもが通じ合うというわけでは、もちろんない。相手の心にどこまで踏み込んでいいのか、もしくは相手の体にどこまで触れていいのか。ときに不安になりながらも、二人にとっての適切な距離感を探っていく過程が丁寧に書かれており、読者としては自然と口角が上がっていくのを止めることができない。

 そうして間合いを探っているさなかに、暝華によってさらにかき乱される二人の関係が、騒動の果てにどう決着するかも注目だ。