汗牛未充棟

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西尾維新『デリバリールーム』――幸せで、安全な出産をかけたデスゲーム。"新境地すぎる新境地”って本当?

 西尾維新の最新作は、2019年7月刊行の『ヴェールドマン仮説』から約1年ぶりのノンシリーズ作品、『デリバリールーム』

 帯の煽り文句には「わたしは戦う!幸せで、安全な出産のために!!」「儘宮宮子、中学3年生。妊娠6ヶ月。」といったインパクトのある言葉とともに、西尾維新、新境地すぎる新境地。」と大きく書かれています。そろそろ二十周年も見えてくる西尾維新ですが、ここにきて拓かれた新境地とはいったいどのようなものなのでしょうか。

 

デリバリールーム

デリバリールーム

 

 

 テーマが妊娠、かつ主人公が未成年の作品で新境地を拓いたと言われると、まさか社会派!?『14才の母』をやるのか!?とも思ってしまいますが*1、実際は"幸せで、安全な出産"をかけて妊婦たちに様々なゲームで競い合わせるという、西尾維新らしいブラックなエンタメ作品となっています。

 

〇あらすじ

 帯にも書いてある通り、中学3年生にして妊娠6ヶ月という主人公の儘宮宮子は、母と離婚した小説家の父親・秩父佐助と面会し、50万円というお金を要求します。それは「デリバリールーム」への参加料でした。そこに入室した妊婦には、「幸せで安全な出産」が約束されるといいます。

 その「幸せで安全な出産」の権利を求めて、宮子はデリバリールームに集まった訳ありの妊婦たち(現役アイドルや高級な喪服をまとった未亡人など)とデスゲームを繰り広げます。デスゲームといっても敗退したら本当に死んでしまうということではなく、ゲームに一度破れると退室となるというだけですが、そこで行われるゲームは十分に悪趣味なものとなっています。

 例えば、部屋に閉じ込められたプレイヤーが鍵を開けるパスワードを見つけ出す、いわゆる謎解き脱出ゲームも、プレイヤーを胎児に、部屋を子宮に見立てて、「産道ゲーム」と名付けることでおぞましさを増しています。

 果たして宮子はこれらの悪趣味なゲームを勝ち抜いて「幸せで安全な出産」の権利を手に入れることができるのでしょうか。そして15歳で妊娠した宮子が抱える事情とは如何に。

 

〇”新境地すぎる新境地”

 あらすじとしてはこのようになりますが、ここから新境地を感じることはできるでしょうか。例えばデスゲームという形式に注目してみましょう。バトルロワイヤルという点では、ルール無用の能力バトルが展開した『十二対戦』がありました。また、西尾維新が原作を務めた漫画『めだかボックス』では、生徒会チームが委員会連合の用意した数々のゲームをクリアしてゴールを目指すというオリエンテーションのエピソードがありました。その際生徒会は全員でのゴールを目論見ましたが、形式としては今回の『デリバリールーム』に近いものがあるといえるでしょう。やはり、デスゲームという形式でもって新境地というのは難しそうです。

 もちろん「新境地すぎる新境地」という言葉はただの煽り文句であって深い意味はないということもあるでしょう。しかし、私にはやはり「妊娠」というテーマに新境地、新しさがあるように感じます。

 これまでの西尾作品に頻出したテーマとして児童虐待「ネグレクト」といったものがあります。例えば、西尾作品には虐待を受けて育ったキャラクターが多く登場します。一番の有名どころは<物語>シリーズの羽川翼老倉育でしょうか。最新のモンスターシーズンでも児童虐待というテーマは続き、主人公の阿良々木暦は作中で 「児童虐待の専門家」とまで呼ばれています。初期作品でいえば戯言シリーズ哀川潤と3人の父親の関係も、そう捉えられるかもしれません。

 そして何より、児童虐待、ネグレクトを扱った西尾作品といえば、『少女不十分』があります。作家志望の大学生が、とある女子児童の奇行を目撃してしまったところ、その児童に監禁されてしまうという物語ですが、監禁状態でその児童と生活するうちに、彼女の歪な性格と、どう育てられてきたのかが次第に明らかになっていきます。

 このように親に虐待されてきた子供を書き続けてきた西尾維新だからこそ、その次のステップとして、虐待される子供が生まれる前段階の「妊娠」というテーマを取り上げたのではないでしょうか。儘宮宮子もまた、親から不当に扱われていることが中盤で明らかになりますが、そんな彼女も妊娠しているということは、これから生まれてくる子供の親であるということになります。

 宮子が妊娠した経緯はネタバレとなるため伏せますが、一般的で幸せな妊娠とは到底言えるものではなく、だからこそ宮子たちは「デリバリールーム」に入室します。そんな不幸な妊娠から生まれてくる子供たちに虐待や放置ではなく、何を与えることができるのでしょうか。何が彼らの幸せとなるのでしょうか。虐待される子供の立場から苦しみを書くだけでなく、親の立場から子の幸せを考えることが、『デリバリールーム』の新境地なのではないでしょうか。

 

〇『デリバリールーム』と『少女不十分』

 そんな『デリバリールーム』では、『少女不十分』を意識したかのような描写がいくつか見られます。終盤の宮子のセリフに「どんな危うい人間だって幸せになっていい」というものがありますが、それは『少女不十分』で強く語られた「どんなに世間一般から逸脱した人間でも、そのままの自分で幸せになってもいい」というメッセージに通じるものがあります。

 また『デリバリールーム』と『少女不十分』をつなぐ、もう一つの共通点として、著者自身を投影したかのような作家キャラクターの存在があります。(ジャンプでの二回目の連載をまだ諦めていないという台詞がありましたが、果てして……。)

 『少女不十分』では「この本を書くのに、10年かかった」という売り文句がありました。「京都の二十歳」としてデビューした西尾維新も二十周年がそろそろ見えてきます。もしかしたら三十年の節目にも同じようなキャラクターが登場するかもしれません。

*1:嘘です。そんなわけない。