汗牛未充棟

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人間六度『スター・シェイカー』――少女を守る戦いはやがて宇宙存亡の危機へ、アイディア満載のインフレ・テレポート・SF!

 テレポートを使って一瞬で移動出来たら。そんな誰もが一度は考えたことがあるだろう妄想を、極限まで考え詰めたのがこの『スター・シェイカー』だ。ボーイ・ミーツ・ガールから始まった物語は、跳躍を繰り返し、やがてこの宇宙の秘密にまでたどり着く。

 

 

 人類がテレポート能という潜在能力に気づいてから数十年、日本の、そして世界のあらゆる場所にWB(ワープボックス)が設置された。WBはボックス内の人間や貨物を安全にテレポートさせるための装置。このWBによって玄関先から学校、職場、あるいは観光地まで一瞬で移動できるようになり、この世界では距離という概念が希薄になった。

 個人の行動範囲が一気に大きくなったことで世界が広くなったと考えてしまうが、いつだって交通インフラの発達は世界を狭くしてしまうもの。WBひとつを隔てて世界のあらゆる場所と繋がっているという状況は、便利ではあるが、世界を非常に「狭く」してしまった。

 だからこそ、この世界のどこでもない異世界への憧れは、より現実的なものとして立ち上がる。しかしWBも使わず、目的地も定めない”異世界”へのテレポートは、多くの場合宇宙空間やマントルへの膨出(テレポートで移動先に出現するプロセス)といった悲惨な結果を招くのだった。

 主人公・赤川勇虎の母親も、あるとき集団テレポートで”異世界”へ旅立ってしまった一人。だからこそ勇虎は、”異世界”という考え方をひどく嫌っている。そんな勇虎は、あるときWBの設計上起こるはずのない事故に巻き込まれてしまう。その事故のトラウマによりテレポート能を失ってしまった勇虎が、ナクサという異国の少女と出会うことで物語が動き出す。

 ナクサ・クータスタ・アーナンダは褐色の肌に銀髪、赤眼の少女。彼女によれば、自身は地球の反対側まで一度にテレポートできるペネトレーターなのだという。その能力をとある組織の麻薬の密輸に利用されていたという彼女は、単身逃げ出してきたらしい。そんな彼女は勇虎に対して「”異世界”にだって逃げてやる」と宣言するのだった。

 ここから追手のテレポート能力者との対決と逃避行が始まり、物語はやがてテレポートが引き起こす世界崩壊の秘密まで繋がっていくのだった。

 ここまでのあらすじからも分かるように、本作はとにかくテレポートについて考え抜かれた作品になっている。例えばテレポートが普及した社会について。物理的な距離というものが意味をなさなくなったため、作中の世界では都市部への人口の集中が解消され、今では「空洞東京」と呼ばれている。

 さらにはテレポート以前の交通インフラ、例えば高速道路などは用をなさなくなる。そんな高速道路には、テレポート能を持たない人たちが集まって暮らしており、ロードピープルと名乗って独自の文化を築いているという設定が面白い。組織の追手から逃げる勇虎とナクサは、成り行きからこのロードピープルたちと行動を共にするようになる。

 その組織の追手との戦闘も、テレポートひとつでどこまでやれるか、という考えを基に組み立てられていて面白い。WBを使わない、我々が普通に想像するようなテレポートを作中では古典テレポートと呼称するが、この古典テレポートを使う能力者たちのバトルは常に一撃必殺だ。相手の肉体がある座標にテレポートすれば、それだけで相手の肉体を引き裂くことができる。

 しかしそれだけでは異能バトルものとしての面白みはない。勇虎たちの前には、虚空から突然巨石が降ってきたり、空中に浮遊してるうえに銃撃などの攻撃を一切無効にする能力者が立ちふさがる。テレポートという共通の能力をどう解釈して、多彩な敵キャラクターを登場させるか。そんな演出にも注目してほしい。

 勇虎とナクサの出会いから始まった物語は、やがて宇宙規模にまでインフレしていき、最後にはSFでしか読むことのできない、とても美しい光景が待ち受ける。巻末の講評にも書かれているとおり、荒削りなところもあるかもしれないが、この熱量とスケール感、そしてそれらが導くあの美しいラストシーンをみれば、新人賞の大賞にふさわしい作品だったといえるのではないか。著者の次回作にも期待したい。