汗牛未充棟

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『人間たちの話』柞刈湯葉――雪原を旅し、監視社会を楽しみ、宇宙でラーメンをつくる。そんな人間たちの物語。

 2016年に『横浜駅SF』でデビューした注目のSF作家、柞刈湯葉カクヨムではいくつも短編を発表しているようですが、書籍としては初の短編集が『人間たちの話』となります。

 

人間たちの話 (ハヤカワ文庫JA)

人間たちの話 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:柞刈 湯葉
  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: 文庫
 

 

・未知の生物の説得力

 このブログを書くために著者のwikiを覗いてみたところ、元々生物学の研究者だったとのこと。作中に登場する様々な架空の生き物たちの描写を思うと、なるほど確かにと納得させられます。未来の動物や異星生命体など、柞刈湯葉の描く未知の生物は、見たことないけれど確かにいそうという、説得力を伴っています。

 例えば、一年中気温が氷点下を上回らないほど寒冷化が進んだ日本を二人の少年が旅する「冬の時代」には、玉兎という動物が登場します。兎といっても特徴的な耳はなく、それどころか足も尾もありません。雪玉のような球状をしていて、皮に包まれた筋肉の中心には、脳と内臓が混ざった核がキチン質の殻に守られています。寒冷化が進む前にゲノムデザインによって創り出されたという玉兎を、少年の一人は食用に創られたのではないかと予想するのですが、このような情報を淡々と述べられると、さもありなんと思えてきます。

 また、四作目の「宇宙ラーメン重油味」は、様々な星系の人種が行き交う宇宙で、「消化管があるやつは全員客」というポリシーで営業するラーメン屋を舞台にしたグルメ物のSFです。グルメ×SFというと、宇宙生物を捕まえて出汁をとったり、チャーシューを作ってみたり、という展開が頭に浮かぶかもしれませんが、本作の主人公キタカタがトリパーチ星人の客に提供したのは、重油のスープとシリコンの麺でできたラーメンでした。とても料理とは思えませんが、有機溶媒の体液を珪素質の細胞膜で覆い、疎水性体質であるトリパーチ星人*1には、何よりのご馳走となります。
  宇宙人が地球の生物と同じように炭素を基質元素としているとは限らないという観点は私にとっては新鮮で、様々な客に合わせて料理というよりは大規模な実験のようにラーメンをつくっていく展開はとても面白かったです。他にも長編小説としても展開できそうな魅力的な設定やアイデアがたくさん詰まっている「宇宙ラーメン重油味」、たいへんおすすめです。

 そして、未知の生物という点においては、「宇宙生命とのファースト・コンタクトは探査機による発見ではなく会議による認定だろう、という個人的確信にもとづいて書かれた(p.279)」という表題作「人間たちの話」が生命の定義について新しい観点を示してます。その詳細についてここで述べることはしませんが、かつて惑星であった冥王星準惑星に格下げされたように、人間の都合で振り回される自然と、大人の都合により親族の間で振り回される幼い少年の姿を重ね合わせたような物語となっています。

 

・「記念日」

 個人的に一番面白く読んだのは「宇宙ラーメン重油味」ですが、一番気になった、心に残ったのは五作目の「記念日」でした。マグリットの「記念日」という作品をテーマに書かれたという短編で、30歳の誕生日を迎えたとある研究者がアパートに帰ると、部屋の大半の空間を占める巨大な岩が置かれていたという冒頭から始まります。

 主人公の研究者はこの巨大な岩とともに生活を送ることとなるのですが、この岩が何を意味するメタファーなのか、分かるようで分かりません。人によっては説明するまでもない自明のことかもしれませんし、もしかしたら作者の中にはっきりと答えがないという場合だってあるかもしれません。ただ、私にとっては、読了後には何か分かった気がするけど、言葉にしようとするとできない、というしこりが残るような読後感が良かったです。

 

 この他、監視社会に暮らす若者の価値観を現代的にアップデートした「楽しい超監視社会」と、デビュー前に執筆された透明人間が主人公の「No Reaction」を合わせて計六本の短編が収録されています。

*1:お察しの通り正確な理解はできておりません。