汗牛未充棟

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第162回直木賞候補作。時系列を巧みに操るSF短編集。――小川哲『嘘と正典』

 第162回直木賞の候補作にもなった『嘘と正典』。受賞すればSF作品としては二作目の受賞になったとのこと。残念でした。

 しかし、候補作となったことで注目度が上がったのも事実。SF作品と言っても表題作の「嘘と正典」以外はそれほどSF然としていないので、これを機に「SFはあんまり……」という読者にも広がっていくといいなと思います。

 

 ちなみに私は本作が『嘘と正典』が受賞したら「やっぱりな。発売時に読んだけど、それだけのポテンシャルのある作品だと思ったよ」とかなんとか言ってドヤ顔しようと思っていたのですが、読めたのは受賞作決定のあとになってしまいました。

 ちなみに収録作六編のうち、最初の「魔術師」は無料で全編公開されています。気になる方はこちらから是非。

 

嘘と正典

嘘と正典

 

 

嘘と正典より「魔術師」無料配信版

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 全編通して読んで感じるのは、時系列を巧みに使いこなす作品だなということです。冒頭の「魔術師」ではマジシャンである竹村理道のステージの様子が描かれますが、それは彼の息子が二十数年後に見ている録画映像であり、そのステージの描写の合間に、そのステージに至るまでの理道の人生とその子供たちのストーリーが挿入されます。ステージ、理道の過去、ステージ、理道の過去、といったように物語は進行しますが、混乱させられるようなことはなく、竹村理道について明らかになっていくにつれ、どんどん彼のステージに引き込まれていきます。そしてステージの最後に驚愕のマジックが披露されます。タイムマシンを完成させたという理道ですがはたして……。
 
 過去の思い出やストーリーを断片的に挿入する手法は他の短編でも見られます。「ムジカ・ムンダーナでは、音楽を財産として所有するというルテア族が暮らす島を主人公が訪れます。主人公が島に降り立つ場面から始まりますが、次の章では舞台が東京に戻り、それまでの経緯が語られます。そのなかで、主人公に度を越して厳しくピアノを指導した作曲家の父との思い出が断片的に明かされていきます。そんな父が遺したひとつのカセットテープが主人公をルテア族のもとに導くのでした。

 

 この手法は父との確執の物語とセットになっているようです。「ひとすじの光」においても、没交渉だった父が遺したある遺稿を、主人公が引き取ることから物語が始まります。その遺稿とは、名馬スペシャルウィークとその先祖にまつわるものでした。完璧に身辺整理をしていた父でしたが、その遺稿の他にも「テンペスト」という冴えない競走馬の処遇も、主人公に任されていました。主人公の視点と、遺稿の文章が交互に進展し、テンペストと主人公の意外な関係が明らかにされます。

 

 三編目に収録されている「時の扉」は面白い構成をとっています。死を目前にしたとある”王”の前に語り手が現れる場面から始まり、物語が過去へ過去へと進行していくのです。「未来は変えられないが、過去は変えられる」という語り手の正体は、そしてそれを聞く”王”の正体はいったい誰なのでしょうか。

 

 時系列を自在に操る作者ですが、その真骨頂はやはり表題作の「嘘と正典」ではないでしょうか。物語はとある裁判の光景から始まります。時は1844年。場所はマンチェスター。被告はフリードリヒ・エンゲルスエンゲルスの名前を知らなくても途中でちゃんと明らかになります。ご安心ください。その裁判で弁護側の証人が口を開こうというとき、物語は次の舞台へ移ります。

 そこは冷戦時代のモスクワ。CIAの工作担当員ジェイコブ・ホワイトと、モスクワ電子電波研究所のエンジニアであるアントン・ペトロフの二人が主人公です。KGBの監視が厳しく、なんとかソ連側の協力者を得たいホワイトと、国の非合理的なやり方を好まないペトロフは、危険な接触を繰り返します。そんな折、ペトロフの研究する高圧の静電加速器でとんでもないことを引き起こせることが明らかになります。

 これは、と緊張感が最高潮に達したところで、時系列を示す針は驚きの振れ幅を見せます。『ゲームの王国』にもあったような、このダイナミックな時代の転換が、小川哲作品の魅力ではないかと感じます。

 

 個人的に一番面白かったのは表題作の「嘘と正典」ですが、一番私に刺さった言葉は五つ目の短編「最後の不良」にありました。「最後の不良」は収録作品の中で、唯一明確に(近)未来を舞台にした作品です。人々が無駄のない洗練されたライフスタイルを良しとし、目立つことや自己主張することをダサいこととして、「流行」がなくなってしまった世界。編集者だった主人公は、辞表を出して、特攻服に身を包み、改造車両に乗って首都高を走り出します。

 そんな作品の中で、「難解な映画を観た若者は理解したふりをしようとせず、どれだけ意味不明だったかを面白おかしく語るようになった*1」という一文がグサリときました。コンテンツへの感想がどんどん大喜利化していく様子はTwitterでは日常茶飯事ではないでしょうか。他人の意見は他人の意見として、自分がどう感じたのかを大切にできるようにしたいです。自戒を込めて。

*1:kindle版 ロケーション1896http://a.co/g8EvDjO