汗牛未充棟

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陸秋槎『文学少女対数学少女』――タイトルが示すものは実は○○○対○○○だった説!

 本書文学少女対数学少女』は、2014年から2019年までに中国の雑誌などで発表された短編3本に、書き下ろし1本を加えて、中国は新星出版社から2019年4月に出版された連作短編集です。著者の長編第2作『雪が白いとき、かつそのときに限り』が翻訳されたときから、タイトルだけは聞こえてきていたので、思ったより早く翻訳されて、嬉しい限りです。

 

文学少女対数学少女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
 

 

 初めてタイトルを聞いたとき、私はいわゆる「きらら系」のような世界観の物語を想像しました。つまり、文系少女と理系少女がケンカしながらも、それぞれのアプローチで日常の謎を解決していき、終わらない(かのように思える)日常を過ごすといった内容ですが、読んでみるとまったく違うものでした。特に「終わらない日常」という点においては正反対といってもいいでしょう。

 

 物語は主人公の陸秋槎(りく しゅうさ)*1が、同じ高校の寮に住む韓采蘆(かん さいろ)の部屋を訪れるところから始まります。校内誌に自作の推理小説を発表する予定の秋槎は、小説の推理の部分に瑕疵がないか、校内で一番賢いとされる采蘆に確認してもらおうとしたのでした。

 采蘆は数学の国際大会でも入賞できるほどの才能がありましたが、人付き合いが下手で他人との距離感をうまく測れるタイプではありません。初対面の秋槎は依頼を引き受けてもらう代わりに、なぜか采蘆の部屋で下着姿にされてしまいます。

 

 私はこの段階まで、「文学少女」と「数学少女」という対立項において「推理小説」は文学少女の側に属するものだと思っていました。しかし采蘆は次のように言います。

「記号化された人物、人物の行動が構成する命題、その命題からなる公理系、そこにいくつかの推論規則が加わって――それが推理小説――にして形式体系――にしてメタ数学だよ!」(p.22-23)

 本作において推理小説とはどちらかの領分にあるものではなく、文学少女と数学少女はそれぞれの立場からそれにアプローチするのでした。

 これ以降も作中作の推理小説は物語の軸となっていきます。物語の展開は一様ではありませんが、基本的には作中作を数学の理論を参考に分析・考察し、それが現実におきた事件の答えも導いていくといった構成になっています。1篇の中にそれだけ詰め込んだうえで、さらに秋槎と采蘆の関係の変化も描かれており、著者の構成力の高さに驚きます。

 

 しかし本作を読んでいくなかで一点気になることがありました。それはタイトルで文学少女と数学少女の対立を煽っている割に、文学少女の秋槎が数学少女・采蘆のライバルではなくて、ワトソン的立場に落ち着いてしまっているのではないかということです。
 ところが、ここで私は作中にもう一人の文学少女を見つけたのでした。

 

(以下、ネタバレを含みます。)

 

 もう一人の文学少女とはずばり、秋槎のルームメイトである陳珠琳(ちん しゅりん)です。秋槎が書いた小説をいつも最初に読んでいた珠琳は、ある程度推理小説に理解があるようですし、何より珠琳の大学の進路は英文科です。これはもう、疑う余地なく文学少女ですね!

 そんな珠琳はいろいろと不安定な采蘆を気遣う様子も見せますが、秋槎に対して距離感のおかしい采蘆を牽制するような言動をたびたびとります。そして4話で秋槎と采蘆が殺人事件に巻き込まれたときには、穴のある推理を披露して、秋槎だけを事件現場から連れ出します。
 これはつまり、タイトルの『文学少女対数学少女』というのは、陸秋槎を間に置いた、陳珠琳と韓采蘆の対立を意味していたのではないでしょうか!

 

 ……と、グランディ級数から一つの解を選ぶように、都合のいい要素だけ拾ってトンデモな説をぶち上げてみました。実際のところ『文学少女対数学少女』というタイトルは麻耶雄嵩の『貴族探偵対女探偵』へのオマージュだと作者自身があとがきで語っています。

 

 さて、「終わらない日常」とは正反対だったと先述したように、作中の時間は次々と進み、秋槎と采蘆、そして珠琳の三人はそれぞれ別々の進路を選びました。そこには感動の別れの場面があるわけでもなく、リアリティのある展開ではありましたが、それにしても最後の秋槎と采蘆の別れは突然で、ぶつ切りに感じました。途中明らかにとばされたエピソードもありましたし、これは続編に期待してもよいのでしょうか……。

*1:主人公の名前は著者と同名です。