汗牛未充棟

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ポルポト政権下、理不尽なゲームを生き抜く人々の物語――小川哲『ゲームの王国(上)』

 一つの物語が上下巻の分冊になる場合、当然下巻の裏表紙には下巻のあらすじが書かれるわけですが、そこに上巻のネタバレが含まれることは避けられません。なので上下巻の本を買う際、私はなるべく下巻のあらすじを読まないようにしているのですが、この『ゲームの王国』でもそれを徹底して本当に良かったです。それくらい上巻のラストからのつながりが、私にとっては衝撃的でした。
 
 本当は上下巻合わせての感想を書くつもりだったのですが、そういうこともあって(あと単純に一冊ごとのボリュームがすごい)上下巻それぞれの感想をまとめることにしました。下巻をほとんど読まないまま、この上巻の記事をまとめようとしているので、あんまりにも的外れなことを言っていたら笑ってやってください。
 
ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

・あらすじとか
 上巻の舞台となるのは1956年から1978年のカンボジア。フランスから独立し公正な選挙が行われるかと思いきや、秘密警察を用いて民衆を抑圧する旧来の権力者や、それに抵抗し革命を起こそうとする人々、そして革命に成功したポル・ポト率いるクメール・ルージュが民衆を虐殺し、次第に崩壊していく様子を、様々な人々の視点から描いています。
 その視点は本当に様々で、共産党員を捕まえる秘密警察や、共産主義に理想を見出した活動家、地方の村の村長、さらにはのちにポル・ポトを名乗るサロト・サルの視点からも語られますが、この物語の中心にいるのは、とある才能を持った少年と少女になります。
 
 少年の名前はムイタック。本当は「幸福」を意味する「ソック」という名前を父親から送られますが、「パパ」や「ママ」より先に「水浴び」を意味する「ムイタック」と口にしたことから、そう呼ばれるようになりました。誰にも教わらずに衛生の概念を理解しているかのようなムイタックは大変頭の良い神童で、教育機関などない地方の村では、兄のティウンを除いて誰もムイタックの頭の良さを理解できないほど逸脱していました。
 もう一人の主人公である少女は名をソリヤといい、どうやらポル・ポトの隠し子であるようです。赤ん坊の頃に何も知らない夫婦に預けられたソリヤは、数奇な運命によって様々な保護者に育てられます。ソリヤには他人の嘘が分かるという特殊な能力がありました。
 
 ムイタックとソリヤの二人はクメール・ルージュによる革命前夜に出会い、トランプを使ったあるゲームを行いました。その後クメール・ルージュが支配する世界をそれぞれのやり方で生き抜く二人の運命は、もう一度交差することになるのでした。
 
 
・”ゲーム”について
 本書は政治、思想、文化、風俗など様々な要素が丁寧に描かれており、私などではすべて消化できないような大作ですが、タイトルにある「ゲーム」という言葉に一つ焦点をしぼって、私なりに少し読み解いてみたいと思います。
 
 ムイタックは故郷の村で過ごした少年時代、兄のティウン、そしてクワンと一緒にオリジナルのカードゲームを作り出します。それはポーカーを下敷きに、より面白いゲームになるようにルールを変更しながら作ったものでした。
 このゲームはクメール・ルージュによる革命前夜にムイタックとソリヤが出会ったときにも行われます。嘘が見抜けるソリヤにはブラフの類が全く通じず、ムイタックにとっては初めて本気で勝負できる相手でした。勝負の結果、軍配はソリヤに上がります。ここでソリヤに負けたという因縁は後々までムイタックにつきまとうことになります。
 
 その後革命によって別れた二人は新たなゲームに巻き込まれます。それは、オンカー(組織)に少しでも反抗的であったり、知識や財産を所有していれば即座に処刑されるという、理不尽な支配を行うクメール・ルージュのもとで生き抜くというゲームでした。ただ生き抜くだけでなく、クメール・ルージュの支配から脱することがこのゲームの勝利条件といえるでしょうか。ムイタックとソリヤはそれぞれ異なるアプローチを行います。
 
 まずムイタックですが、彼には次のような価値観がありました。
 
革命って、みんなで決めたルールの中で勝つっていう、なんというかゲーム的な行為ではなくて、そもそもそのルールの外からルール変更を押しつけるもので、もちろんルールにはルールそのものとルールをめぐるルールの二つがあるんだけど、革命はその二つのルールを破壊する行為でこれは完全にゲーム外の出来事だから興味があんまりないというか。 p.234
 
 ムイタックにとってはあくまでルールの範囲内でどう動くかというのが重要なようです。そのうえ、何かを変化させることについて、二つの方法があるといいます。
 
ひとつは、偉くなって内部から変える方法。もうひとつは、一から満足いくものを自分で作る方法。 p.346
 
 ムイタックは後者の方法を選択しました。ムイタックは郡長になった叔父の協力のもと、故郷の村で新しい共同体を作り始めます。そこではクメール・ルージュによるような制限は緩和され、ルールを巡るルール、つまりルールを改正するためのルールも作られました。最初は上手くいくかのように思えましたが、次第にルールを巡るルールを悪用し、権力を握ろうとする人物が内部から現れ失敗してしまいます。
 
 一方でソリヤは、内部から革命する道を選びました。有力者と結婚し、嘘を見抜く能力によって次々と敵対者やほかの有力者を退けていき、最終的には実の父であるポル・ポトを殺して革命を起こそうとします。それは実際修羅の道であり、自分の命が常に危険にさらされるほか、周囲の命も犠牲にしていきます。そして彼女の道行きにムイタックたちが現れたとき一つの悲劇が起きてしまいます。
 
 このカンボジアという国を巡るゲームで勝敗を決めることは簡単ではありませんが、上巻の終わりの段階では少なくともムイタックと兄のティウンは負けたと思っているようです。このゲームがどう決着するのか、下巻を読むのが楽しみです。