汗牛未充棟

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"百合を語るな、百合をやれ" 作者渾身の百合ホラーSF――宮澤伊織『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』

 
 仁科鳥子と出逢ったのは〈裏側〉で“あれ”を目にして死にかけていたときだった――その日を境に、くたびれた女子大生・紙越空魚の人生は一変する。「くねくね」や「八尺様」など実話怪談として語られる危険な存在が出現する、この現実と隣合わせで謎だらけの裏世界。研究とお金稼ぎ、そして大切な人を探すため、鳥子と空魚は非日常へと足を踏み入れる――気鋭のエンタメSF作家が贈る、女子ふたり怪異探検サバイバル!
 
■イントロ

”百合が好きな人たちの間には「百合について語るな、百合をやれ」という感覚が共有されていると思うんです”

 とあるインタビューでそう語った作家がいた*1。その作家は配信中のVtuberのチャットの現れたかと思えば、突如自身の人格からワオキツネザルを分離させVtuberデビューしたりしていたが、とにかく信頼できる作家であることは分かった。

 だからこそ、極上の百合小説が読めると喜び勇んでページをめくったのだが、私はこの小説が「SF」であり「ホラー」であることを失念していた。

 
■ホラー
 主人公である空魚と鳥子が冒険する「裏世界」は一見するとのどかな世界だが、その実常に死の危険と隣り合わせている。実話怪談をベースとした化け物たちや、目に見えない罠〈グリッチ〉ももちろん恐ろしいのだが、読んでいて真に恐怖を覚えるのは言語や認識が侵される場面であろう。
 この裏世界に入り込んだ人間は、何らかの影響を受けてしまうらしい。自分では普通に会話をしているつもりなのに、はたから見ると意味不明なことをしゃべっている。そんな風に自分では正気だと思っているうちに何かを歪まされるのだ。目の前に存在する怪物と違い、物理的に防御も抵抗もできない侵略は、それに気づいたときにたまらなく恐ろしい。
 そんな危険な裏世界に「二人なら」と挑んて行く姿に百合を感じるのである。
 
■百合
 百合と言っても空魚と鳥子が恋愛をして恋人同士になるとかそういうことではない。百合とは女性同士の恋愛だけを示すのではないと作者も先ほどのインタビューで語っている。

百合とは何かといえば、“女と女の関係” といえば間違いないといえます。

この「関係」とは「恋愛」だけではなく、恋愛をもその中に包み込む非常に大きな“何か” です。この時点でもう、「百合=女性同士の恋愛」という定義は当てはまらないことがおわかりいただけると思います。女と女を結びつける“何か” は「巨大不明感情」と呼ばれたりもしました。2016年くらいに確立した概念ですね。「感情」の動きをちゃんとやるとフィクションの「解像度」が高まるんです。解像度の上がった百合は「強い」。

 個人的にこの「巨大不明感情」という概念がとても好きなのだが、空魚と鳥子の間にも一言では表せないような複雑な感情が横たわっている。お互いに信頼と好意があるのは間違いないのだろうが、感情の矢印がしっかりとお互いに向き合っているわけではない。そのズレから衝突することもあるが、そんな衝突や裏世界の冒険を経て、二人の関係がどのように変化していくのか目が離せないのである。
 
 
 
 
 
〈ちょっとネタバレ〉
 裏世界を攻略する中で空魚と鳥子の二人はそれぞれ、裏世界に干渉する特殊な力を手に入れる。空魚の力は裏世界の本質を見ることができるようになる眼であり、鳥子の力はその本質に触れることができる手である。裏世界の怪物は空魚の眼によって正しく認識しないと倒すことができないが、空魚に戦闘力がほとんどないため、空魚が認識し鳥子が倒すというコンビネーションが生れる。「二人」だからこそこの裏世界を進めるのだということを強調するとても良いキャラ付けだと感じた。