汗牛未充棟

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【コラム】宮澤伊織作品に見るゲーム的表現 ウォーキングシミュレーターと環境ストーリーテリング

 ウォーキングシミュレーターというゲームジャンルをご存知でしょうか。私はとあるラジオの特集でその存在を知ったのですが、その特徴を聞くうちに、SF作家・宮澤伊織のとある短編のことを思い出しました。

 この記事では「ウォーキングシミュレーター」、そして「環境ストーリーテリング」という二つのキーワードをもとに、宮澤伊織作品のゲーム的表現手法について見ていきたいと思います。

 

 

ウォーキングシミュレーターの概要と特徴

 TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の6月3日放送分にて、IGN JAPANに所属するライター、クラベ・エスによる「ウォーキングシミュレーター」というゲームジャンルの特集が行われました*1

 ゲームは門外漢の私にも、オープンワールドゲームの隆盛やマップの作り込みによって、「歩いているだけでも楽しい」と言われるゲームが増えているように感じられます。そんななか、本当に「歩く」という要素だけを取り出してしまったのが、ウォーキングシミュレーターというジャンルとのこと。

 一聴すると、ただ散歩をするだけのゲームなのかとも思いますが、どうやらそうでもないようです。特集内では、ウォーキングシミュレーターの特徴について、主に3つの観点からまとめられていました。

 

 一つ目の特徴は、もちろん「歩く」ゲームであるということ。映画などの映像コンテンツであれば、キャラクターが移動しているだけの映像を長尺で見せられてもコンテンツとして成立しませんが、ゲームであればキャラクターの移動はプレイヤー自身が操作しているため、ゲーム体験として成立しうる余地があります。

 またこの主人公(プレイヤー)の移動は三人称視点ではなく、一人称視点で行われることが多いようです。それはウォーキングシミュレーターにおいて「歩く」こと以外にプレイヤーが可能なもう一つのアクションをやりやすくするための設定であるとのこと。そのもう一つのアクションとは、すなわち「調べる」ことです。この「調べる」というアクションは二つ目の特徴に関係します。

 

 二つ目の特徴は、ストーリーの語り方にあります。ウォーキングシミュレーターにはRPGのような一本道のシナリオはありません。その代わり「環境ストーリーテリング」という独特な手法で物語が描かれます。それはどのような手法なのでしょうか。

 ウォーキングシミュレーターのプレイヤーは、歩き回るなかで、気になるオブジェクトがあれば調べることができます。そしてその行為によって、そのオブジェクトにまつわる様々な情報をプレイヤーは得ることができます。

 例えば一軒家を舞台にしたウォーキングシミュレーターで、書斎に入ったとします。その部屋の主は作家なのですが、自身の著作がつまった段ボールが部屋中においてあったり、修正まみれの原稿が机上にあれば、その部屋の主は仕事がうまくいっていないことがわかります。もっと直接的には、手紙や日記などを見つけることができれば、その持ち主についてより具体的なエピソードを知ることができるでしょう。このように、配置されたオブジェクトから、観測者にストーリーを創造させる手法を環境ストーリーテリングと呼ぶそうです。

 ウォーキングシミュレーターでは、どの順番で何を調べるかは、プレイヤーに委ねられており、個々の環境ストーリーテリングの積み重ねによって、プレイヤーごとの物語が紡がれていきます。

 またこの手法の都合上、様々なオブジェクトを配置しやすい屋内や廃墟といった環境が、ウォーキングシミュレーターの舞台としてよく選ばれるそうです。

 

 そして三つ目の特徴として、プレイヤー以外のキャラクターがほとんど登場しないことも挙げられました。キャラクターひとり分の立ち絵だったりモデルを用意するにはそれなりのコストがかかりますが、環境ストーリーテリングを活用すれば、それらを用意することなく、様々なキャラクターについて物語ることができます。


 さて、ここまでウォーキングシミュレーターについて、番組内で紹介された内容をまとめてきましたが、これらの説明を聞いて、私の頭に浮かんだひとつの小説がありました。それが宮澤伊織の「キミノスケープ」です。この小説は、まさにウォーキングシミュレーターの小説だったのです。

 

ウォーキングシミュレーター的小説 宮澤伊織「キミノスケープ」

 「キミノスケープ」はSFマガジン2019年2月号の百合特集に書き下ろされた短編。あるとき、現実世界と似通っているが、人間はおろか動物や虫なども含めて生き物が全くいない世界に迷い込んでしまった”あなた”が、自分以外の人間を求めて歩き続ける物語となっています。実はこの小説、前述したウォーキングシミュレーターの特徴を多く備えています。

 まずはもちろん主人公が「歩く」ということ。この世界では一晩ごとに建築物が増えたり減ったりと変化を続けていて、なおかつ端から崩壊していくため、主人公は常に移動しなければなりません。主人公の移動に合わせて、どことも知れない街中の、人気の途絶えた風景が、次々に流れていきます。

 そして特徴的なのが、作中の人称です。作中の主人公は、地の文において常に「あなた」という二人称で表されます。つまり物語の主人公は読者であり、読者の視点は主人公の視点に一致します。これはゲームにおける一人称視点に相似するのではないでしょうか。

 それでは、環境ストーリーテリングについてはどうでしょうか。「キミノスケープ」は主人公が朝日を浴びて目覚める場面から始まりますが、直後、主人公が一晩を過ごした室内の様子について、次々と描写が差し込まれます。花柄のカーテン。黄緑色のラグ。一人暮らしサイズの冷蔵庫。水色とクリーム色の風車のように色分けされたクッション。シングルサイズのベッド。枕元にはメンダコやチンアナゴといった海洋生物のぬいぐるみが複数。エトセトラ。エトセトラ。

 実はこの部屋、主人公の部屋ではありません。前述したように自分以外の人間が消え去った世界に迷い込んだ主人公が、移動の途中で偶然見つけて、一晩を明かした部屋となります。元々の住人(そんな人間が本当にいたのかはわかりませんが)について具体的な説明はありませんが、細々と描写される室内のオブジェクトから、なんとなくその人のイメージが浮かび上がってくるような気がします。そしてこの環境ストーリーテリング、作中の大きな仕掛けにも利用されています。

 世界観の設定からもわかるように、この小説、主人公以外のキャラクターがひとりも登場しません。百合*2の特集企画で掲載された作品であることをふまえると、なかなかに挑戦的な内容に思えます。しかし、他者の気配が全くないわけではありません。

 あるとき、美術館を訪れた主人公は、とある絵を発見します。その絵の表面には白い文字で「I'm fine.」と書かれていました。さらに、その絵の下には絵の具のチューブが落ちています。これにより、自分以外の誰かが存在しているということを確信した主人公は、これ以降その誰かの痕跡を追って、移動を続けます。

 そのキャラクター自身は作中に一切登場させないまま、絵画に書き込まれたメッセージだけで「もう一人の登場人物」としての存在感を演出するというのは、まさにウォーキングシミュレーターにおける環境ストーリーテリングの用法そのものです。

 これらのことから、「キミノスケープ」という作品は、非常にウォーキングシミュレーター的な小説であるということが言えると思います。

 

『裏世界ピクニック』における環境ストーリーテリングの逆利用

 また、宮澤伊織の他の作品からも、ウォーキングシミュレーターや環境ストーリーテリングの要素を見ることができます。

 例えばテレビアニメ化もした『裏世界ピクニック』(2017~, 早川書房)。これは実話怪談の怪異がはびこる、現実世界と隣り合わせの異世界、「裏世界」を、二人の女子大生(空魚と鳥子)が冒険する百合ホラーSFです。

 恐ろしい怪異との対決であったり、現実世界で遭遇する中間領域絡みのトラブルであったり、裏世界との接触によって身体に何らかの異変が生じた第四種接触者とのバトルであったりと、なにかと要素の多いシリーズですが、主人公たちの主目的はあくまで裏世界の探索であり、作中では移動の場面も多く描かれます。グリッチと呼ばれる目に見えない危険にも満ちていますが、次々と新しい景色を見せてくれる裏世界は魅力に満ちています。

 物語の途中でAP-1という農業機械が裏世界に持ち込まれたため、今では”ウォーキング”ではなくなってしまいましたが、慎重に歩を進め、徐々に未知の領域を切り開いていく主人公たちの姿は、ウォーキングシミュレーター的な面白さを備えているように思います。

 また、『裏世界ピクニック』では環境ストーリーテリングもホラー演出に効果的に利用されています。例として、『裏世界ピクニック3 ヤマノケハイ』(2018, 早川書房)収録の「ファイル9 ヤマノケハイ」をみてみましょう。

 裏世界を探索していた空魚と鳥子は、山中で回転展望台らしきものを見つけます。展望室に足を踏み入れた二人はそこで、中央の支柱にぐったりと寄りかかるように置かれた宇宙服を発見します。

 ここで環境ストーリーテリングについておさらいしましょう。環境ストーリーテリングとは、直接物語るのではなく、配置されたオブジェクトとその状態によって、プレイヤーに様々なストーリーを想像させる手法でした。つまり人間は、何か特徴的なオブジェクトがあれば、それにまつわるストーリーを勝手に想像してしまう生き物であるということです。

 それでは展望台の中にある宇宙飛行士の脱け殻は、どんなストーリーを備えているのでしょうか。同じく展望室の片隅に散乱している色褪せた絵はがきには何の意味が?

 恐らくこれについては「何の意味もない」が正解なのだと思います。しかし、展望台の中に宇宙服などというミスマッチなものが存在すれば、その意味を考えずにはいられません。しかしその答えが見つかることは決してないのです。その違和感は物語全体に不穏さをもたらし、その後のホラー展開にも効いてきます。

 存在しないストーリーをプレイヤー(読者)に想像させるという、環境ストーリーテリングの裏技が用いられてるといえるのではないでしょうか。

 

 これらの描写について、作者が実際にウォーキングシミュレーターや環境ストーリーテリングといったことを意識して執筆したかは定かではありません。しかし、『裏世界ピクニック』の最新6巻では、空魚が裏世界の開拓をマインクラフトに例える場面もあり、様々なゲーム作品が小説に影響していることは確かでしょう。そんなゲームからの影響を考えながら、宮澤伊織作品を読み返してみるのも面白いかもしれません。