汗牛未充棟

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逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』――独ソ戦を戦い抜いた狙撃手の少女、最後に見出した”撃つべき敵”とは

 逢坂冬馬のデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』は、発売前から大きな注目を集めていた。ゲームクリエイター小島秀夫をはじめとした著名人や先読みした書店員が絶賛していると、出版元の早川書房マーケティングに余念がない様子。それもそのはず、本作は投稿されたアガサ・クリスティー賞の選考で、選考委員の全員が満点をつけるほどの新人離れした傑作だったのだ。

 アガサ・クリスティー賞とは早川書房と早川清文学振興財団が主催するミステリ小説の新人賞で、本格ミステリだけでなく冒険小説やサスペンスなど、広義のミステリ小説を募集している。今年で11回目を数えるクリスティー賞だが、選考委員全員が満点をつけたのは史上初とのこと。それほどの高評価を受ける本作の魅力とはいったいなんだろうか。

 物語はソビエト連邦のとある小さな村、イワノフスカヤ村から始まる。時は1942年。第二次世界大戦の最中であり、ソ連はドイツ軍による侵攻を受けていた。主人公セラフィマの暮らすイワノフスカヤ村も、運悪くドイツ軍に襲われてしまう。

 侵略者に村人も母親も殺されてしまい、セラフィマ自身も犯されて殺されようとしたところに現れたのが、イリーナという元狙撃兵の女性隊長が率いる味方の部隊だった。

 救われたセラフィマはその後、イリーナ率いる女性のみで構成された狙撃部隊の一員として戦場を駆けることになる。それは母を撃った敵の狙撃手に復讐するため、そして思い出とともに村と母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するためであった。

 そしてここから、王道のエンターテイメントが始まる。訓練学校に入学したセラフィマは、厳しい訓練に耐え抜き、狙撃手としての能力を身に付けていく。同期の仲間たちも、セラフィマに対抗心を燃やす勝ち気な少女シャルロッタや、天才的な狙撃の才能を持つが人付き合いを嫌うカザフ人の猟師アヤなど、類型的に見えてその実複雑な内面を持った魅力的なキャラクターが揃っている。

 そんな彼女たちも遂に訓練学校を卒業すると、戦場を駆け巡ることになる。女性だからと舐められがちなセラフィマたちが活躍する様は、それだけで痛快だ。また、狙撃手の戦いという点も、独特の緊張感を演出する。作中で示される「自分だけが賢いと思うな」という言葉の通り、一瞬の慢心が致命的な一撃を呼び込んでしまうため、少しも油断できない緊迫の頭脳戦が描かれる。

 と、ここまでは冒険小説としての魅力を述べてきたが、これだけではここまでの高評価を得るまでには至らなかっただろう。こうしたセラフィマの戦いを通して、何を描き出したかということに、この作品の真価があるのではないか。

 訓練学校においてセラフィマたち訓練生は、「何のために戦うのか」と問われる。その問いに対し、セラフィマは最初「敵を殺すため」だと答えた。しかし、訓練や戦場での経験を重ねるたびに、何を守るために敵を殺すのか、そもそも撃つべき「敵」とはいったい何であるのかという疑問が、セラフィマの前に立ちふさがる。

 そして最終的にセラフィマが導き出した答えと、そこに至るまでの旅路は、これまで見ないふりをされてきた人間の悪性に光を当てるものとなった。そこを照らし出したことこそ、この小説が評価されたポイントだったのではないだろうか。

 デビュー作でこれほどの大作を書き上げた筆者の次回作が楽しみだ。