汗牛未充棟

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早見慎司『死なないセレンの昼と夜 ー世界の終わり、旅する吸血鬼ー』――枯れ果てた世界でも、一杯のコーヒーはいかが?

 

 雨が降らなくなって数百年、とうに現代文明は崩壊し、見渡すばかりの荒野が広がる世界。そんな世界をサイドカー付きの三輪バイクで旅しながら、気まぐれにコーヒーショップを営む吸血鬼早見慎司の新刊『死なないセレンの昼と夜 ー世界の終わり、旅する吸血鬼ー』の、この設定に惹かれるという人は多いのではないだろうか。

 文明が崩壊した世界では、「学生」や「社会人」といった、立場で行動を制限するような社会的制約はない。そして吸血鬼であるセレンには、寿命といった身体的な制約もない。現代社会を生きる我々は、そんな制約から解き放たれた自由さに、惹かれてしまうのかもしれない。では、何をするにも自由なセレンは何のために旅をして、コーヒーを売っているのだろうか。

 著者の早見慎司は、メディアワークス文庫をはじめとして複数のレーベルに著作を持つ小説家。電撃文庫からは初の刊行となる本作は、先述のようにポストアポカリプスな世界を旅する吸血鬼のセレンが、様々な人間と交流するファンタジー作品であり、全五話からなる連作短編の形式をとっている。

 旅をしながらコーヒーショップを営むセレンだが、お金儲けを目的にコーヒーを提供しているわけではない。一杯のコーヒーを飲む時間は、セレンとお客との会話の時間だ。コーヒーをきっかけにセレンは様々な人間と交流をする。

 お客の中には、この崩壊した世界で音楽フェスを開きたいと夢を語る者もいれば、水の分配という現実的な問題に頭を悩ませる人もいる。それを聞いてセレンは、吸血鬼という上位存在でありながら、人間の事情に寄り添い、時には積極的に関わっていくのだ。そうして、時に彼らと共感して喜びあい、時に彼らの裏切りに落ち込んだり、自らのお節介を後悔したりする。まるで人間のように。

 そんなセレンと関わる人間たちの中から、2話に登場するニーナと、5話に登場するシスター・イルマの二人に注目したい。どちらも地域の水を管理する水主の関係者で、セレンの見た目年齢と近い年齢の女性である。そして二人とも、ならず者から水を守ってほしいとセレンに依頼するのだが、ニーナがならず者の対処をセレンに任せた一方で、シスター・イルマの取った行動が非常に印象的だった。第5話の章タイトルは「友情/夕青」。友情を得るために必要なものとはなにか、考えさえられる。

 作中でセレンは、「いまだけを生きている」ということを何度も口にする。その言葉を補強するように、五つの章は時系列をはっきりとさせていない。しかし読者としては、作中で示されたセレンの過去が気になってしまう。続編はあるのだろうか、期待したい。