汗牛未充棟

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佐藤究『テスカトリポカ』――【レビュー】血の資本主義によって紡がれる血の神話、圧巻のクライムノベル

 第34回山本周五郎賞も受賞した圧巻のクライムノベル『テスカトリポカ』麻薬資本主義(ドラッグ・キャピタリズム)をステップに血の資本主義(ブラッド・キャピタリズム)による新たなマーケットが築かれていく様を緻密に描くと同時に、物語には常にアステカ神話の血なまぐさく、神秘的なイメージがつきまといます。ストーリーを通して浮かび上がる一柱の神、我々の価値観では計り知れないその神秘的な威容を、ぜひ目にしてください。

 

 

 メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、対立組織との抗争の果てにメキシコから逃走し、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会った。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へと向かう。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年・土方コシモはバルミロと出会い、その才能を見出され、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていく――。海を越えて交錯する運命の背後に、滅亡した王国〈アステカ〉の恐るべき神の影がちらつく。人間は暴力から逃れられるのか。心臓密売人の恐怖がやってくる。誰も見たことのない、圧倒的な悪夢と祝祭が、幕を開ける。第34回山本周五郎賞受賞。

 

 こちらは公式のあらすじ*1ですが、これを読むと、日本を舞台にコシモとバルミロの物語が描かれると思うかもしれません。しかし実はコシモとバルミロが出会うのは物語の後半で、前半ではひたすらバルミロの遍歴が描かれます。

  対立組織によって自らの麻薬カルテルを壊滅させられたバルミロは、メキシコを脱出し、復讐のために再起を図ります。それは”麻薬資本主義”(ドラッグ・キャピタリズム)によって作り上げられた網の目をたどる旅路でした。最終的にジャカルタに根を張ったバルミロは、そこでとある日本人に出会い、彼と共に、”血の資本主義”(ブラッド・キャピタリズム)、つまり臓器売買による新たなマーケットを日本に作り上げようとします。

 

 もちろん本作はフィクションですが、巻末の参考資料を見ればわかるとおり、綿密な取材に基づいて語られる裏社会の様子は、まるでノンフィクションのようにも錯覚させられます。

 その非常に現実味を帯びたバルミロの逃亡劇と同時に、神話的な要素も物語に並走します。バルミロの祖母はアステカにルーツを持ち、彼女の薫陶を受けて育ったバルミロもアステカの神々を信仰していました。バルミロは、そこがジャカルタであろうと日本であろうとアステカ流の儀式を行い、日本で出会ったメキシコ人の母を持つコシモ少年にも、アステカ神話を語って聞かせるのでした。

 それらの儀式や神話は残酷で血みどろですが、どこか現在の倫理観では測れないような神聖さも感じさせます。

 

 もう一つ物語の大きな特徴として、登場人物の背景や来歴が事細かに語られるということも挙げられます。その対象は主要人物だけに限られません。バルミロの逃亡を手伝った汚職警官のような端役であっても、彼がなぜ麻薬カルテルに内通するようになってしまったのかが、丁寧に語られます。

 明らかに意図的な語り口ですが、そこにはどんな意図があるのでしょうか。一つには、綿密な設定により物語の強度を上げるということがあるでしょう。

 また個人的には、詳細に語られる登場人物一人ひとりのエピソードが、『テスカトリポカ』という一つの神話を形作る血肉のように感じられました。バルミロを始め様々な登場人物の人生が積み重なり、物語はとある神話的な結末を迎えます。

 600ページ超えの長い小説ではありますが、現代人の物差しでは善悪のスケールも測れないような圧倒的かつ神秘的な神の姿を、ぜひ目にしてください。