汗牛未充棟

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西尾維新『新本格魔法少女りすか』――シリーズ後半感想。12年なんて空白が酷く些細な問題なのが、この物語なの。

 西尾維新は最終回というものに一家言ある作家だと、私は認識しています。過去の作品はほとんど実家に置いてきてしまったので確認できないのですが、どこかのあとがきで最終回というものに対する言及もあったような気がします。なにより、〈物語〉シリーズであれだけ何度も最終回を書いているのだから、少なくとも得意ではあるのでしょう。

 そんな西尾維新が最終回を書くことができず、長いこと停止してしまっているシリーズ作品が二つありました。そのうちの一つ『新本格魔法少女りすか』が12年ぶりに再始動し、先日遂に最終4巻が発売され、無事完結を迎えました。

 

 

 私もこれを機に『りすか』を読み返したのですが、記憶していた以上に3巻が面白く、驚きました。それだけに4巻でどう決着するのか不安でもあったのですが、12年あるいは17年振りの結末として、満足できるものでした。ここでは3,4巻を中心にシリーズを振り返ってみたいと思います。

 

 主人公は己の野望のために「駒」を探しているという「魔法使い」使いの少年、供犠創貴。そして魔法の王国・長崎県の出身で、自分自身の時間を操る魔法使いの少女、水倉りすか。二人はりすかを創り上げた伝説の魔法使い、水倉神檎の手がかりを求めて、九州中の魔法使いを倒してまわっていました。

 1巻で『影の王国』影谷蛇之を退けた二人は、水倉神檎に繋がっているかもしれない『ディスク』の存在を知ります。2巻の冒頭で『ディスク』を奪取するために片瀬記念病院跡を訪れた二人は、同じく『ディスク』を目当てに現れた魔法使いツナギと遭遇、辛くも彼女を出し抜きます。

 そして『ディスク』が奪われたことをきっかけにして水倉神檎による『箱舟計画』が始動、『六人の魔法使い』が長崎県佐賀県を隔てる城門を越えて、それぞれ動き出します。ツナギこと『城門管理委員会』の創設者にして、たった一人の特選部隊である繋場いたちと協力して、『六人の魔法使い』の一人目を撃退した創貴は、残る五人と戦うため、りすか、ツナギとともに佐賀県を旅立つのでした。

 

 と、ここまでが前半2巻までのあらすじとなります。この後の展開を順当に予想するならば、福岡県、大分県と順番に九州をめぐりながら、二人目、三人目の敵を倒していくということになるのでしょう。しかし、読者の誰もが思いつくような展開は、裏切りたいと思うのが作家心でしょうし、ましてや西尾維新がそんな普通の物語を書くわけがありません。

 3巻の冒頭、いきなり二人目の魔法使いがツナギによって瞬殺されます。そして創貴が一瞬単独行動した隙をついて、彼の前に六人目の水倉鍵が、三人目から五人目をすっ飛ばして登場します。そして西尾維新作品にありがちなゲーム対決をしながら、『箱舟計画』の全貌を一気にネタばらししてしまうのでした。予想の斜め上をいく急展開ですが、私が一番感動したのは、この後の展開です。

 りすかとツナギの魔法を封じるという特大の置き土産を残して水倉鍵が去っていたあと、創貴たちは三人目、四人目、五人目の魔法使いとの連戦へとなだれ込みます。直前に六人目を登場させて予定調和な展開からずらしたにも関わらず、また予定調和な三連戦へと戻ってきてしまったのです。しかしこの三連戦、予想通りの展開でありながら、大ピンチと大逆転の連続で、緊迫感の続く、非常に読みごたえのある内容になっているのです。

 敵の攻撃方法は、物質を固定することによる密室への監禁であったり、夢の世界への取り込みだったり、シンプルな串刺し・磔だったりと様々ですが、いずれも初手から詰んでいるような絶体絶命の状況に創貴たちを追い詰めます。そしてそこからの大逆転となるわけですが、冷静になると突っ込みたくなるようなポイントも、読んでいるときは突っ込みを忘れるような勢いがあったと思います。なにより、水倉鍵とのゲームも含めて、短編4本分の内容を、実質的にホテルの一室から登場人物が動くことなく展開してみせたことが、すごいと感じました。

 この三連戦までが2008年に書かれたものとなります。ここまでの内容が記憶していたより面白く、正直2020年以降に書かれたパートはぐだぐだになるだろうと思っていたのですが、総合的には満足な内容でした。

 

 11話、五人目の魔法使いを倒した創貴たちは、魔法使いたちが大挙して攻めてくることを知り、りすかの魔法を使って17年後の未来へと撤退します。そこまではいいとして、そこからの17年後の世界(元の世界の西暦を第1話が雑誌「ファウスト」に掲載された2003年とするならば2020年の世界)の描写には多少疑問を感じてしまいました。

 例えば紙の本や書店というものの存在が過去の遺物になっていたり、人権意識の高まりから相撲が廃止されていたり、現実世界で問題となっている事柄を風刺的に取り入れた世界観になっていて、正直鬱陶しく思います。

 このあと創貴の実家に戻って、ある重要な事実を知るのですが、それから元の世界に戻ってしまうので、この1話まるまるなくても物語が成立しそうにも思います。しかし、この冗長に思える未来の世界の描写に意味があったことが後々分かってきます。

 

 12話で元の時間軸に戻った創貴たちは、魔法使いたちの本丸、長崎県の森屋敷市に逆に攻め込みます。そしてここから物語は急展開し、スケールアップしていきます。仲間とのあっけない別れは、物足りなさや寂しさを覚えると同時に、初期の西尾維新を思い出させます。そういえばこれくらい簡単に主要キャラを殺す作家でした。

 シリーズを通してボスキャラとしての格が上がり続けた水倉神檎の描写も納得できるものでしたし、それに続く神話的規模の親子喧嘩も、十数年引っ張ったシリーズの幕引きとして、十分なスケールだったと思います。

 

 そして最終話。長いこと昏睡していた創貴は、再び2020年の世界で目を覚まします。創貴が目覚めた世界については、しきりにコロナ禍の渦中にあることが強調され、その世界が読者の世界と限りなく同質であることが示されます。ここで、11話の鬱陶しい17年後の描写が効いてきます。このことによって、いま創貴がいる世界が、ずっと彼が戦ってきた魔法使いのいる世界や、その延長線上の未来とは、はっきりと異なる世界であることが強調されるのです。

 

 ただそれはいいとして、少し時代に寄り添いすぎたのではないでしょうか。特に2020年からさらに17年後の世界で、コロナ禍が収束せず「伝統」感染症と呼ばれているとか、オリンピックが17年間延期され続けているといった時事ネタは、今の読者ならそんな未来もあるかもしれないと笑えますが、数年後の読者が同じように笑えるかは疑問です。

 コロナ禍の”今”を小説に落とし込んで後世に残すことも重要な取り組みですが、十年以上続刊を望まれ続け、やっと完結するというこのりすかシリーズに、一過性の時事ネタを取り込むべきではなかったのではないかと感じました。