汗牛未充棟

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石川博品『ボクは再生数、ボクは死』――炎上上等過激配信!刹那主義の果てに何をつかむのか

 シノはきれいの中を猛スピードで駆け抜けるだけの生き方をしたかった。その先に何があるのかは知らない。(p.264)

 これは主人公・シノのモノローグです。倫理的に危うい配信活動を繰り返し、急速に配信者としてのステップを駆け上がっていくシノ。その刹那的な活動の果てに、何が待っているのでしょうか。

 

ボクは再生数、ボクは死

ボクは再生数、ボクは死

  • 作者:石川 博品
  • 発売日: 2020/10/30
  • メディア: 単行本
 

 

 2033年、世界最大のVR空間サブライム・スフィアにおいて、冴えない会社員の狩野忍は、”世界一可愛い”美少女シノのアバターを身にまといます。シノ(忍)の趣味は、女性(のアバター)同士専門の風俗店に通うこと。あるときそこで出会ったツユソラという女性に、シノは骨抜きにされますが、彼女の元に通い続けるためには資金が足りません。シノはどうにかして大金を稼ごうと考えます。

 そんなシノと組むことになるのは弱小配信者のイツキ。なかなか伸びない再生数に悩む二人でしたが、無法地帯での銃撃戦の動画がバズったことで状況が一変します。風俗通いのためにとにかくお金がほしいシノと、なんでもいいから注目されたいイツキの相性は悪い意味で最高で、これ以降彼女たちは過激な動画で再生数を稼いでいくのでした。

 炎上動画で配信者界隈を成り上がっていく様は、まるでピカレスクのよう。悪質なドッキリで炎上した配信者や、未成年と繋がろうとする悪質なアバターを殺してまわり、その様子を配信することで、金(登録者数)、権力(知名度)、女(OPF*1)を手に入れていきます。殺したギャングから奪った拳銃を、ツユソラの髪色にリペイントして愛用するところなどは見事なヒールっぷりでした。

 ここからベタな展開を考えると、あまり誉められない手段で急速に成り上がった主人公を待つのは破滅一択なのですが、はたしてどう転んでいくのでしょうか。

 

※以下、終盤までのネタバレがあります。

 

 

 

 この物語を成立させる上で、一つ重要な設定があります。それが2ALエリアの存在です。「All Against the Low」つまり「なんでもあり」のルールが設定されているエリアでは、他者のアカウントを殺すことができ、死んでしまったアカウントはそのまま消滅してしまいます。もちろん簡単にアカウントを取り直すことはできますが、元のアカウントに紐付けられたフォロワーや配信チャンネルなどは復活することはありません

 さすがにそんな無法な状況をを許すコンテンツなんてないだろうとも思いますが、その”死んだら終わり”という設定によって、シノたちの暮らすVR世界は現実に一歩近づきます。そしてVR世界の住人たちが代替不可能なオンリーワンの存在になることによって、彼らは「中の人のアバター」ということ以上の価値、存在の重みを持ち始めます

 このことに関連して、ひとつ面白いと感じた表現があります。サブライム・スフィアで有名になったシノはたくさんの女性と関係を持ちますが、その際相手の女性アバターの魂が男か女かということは一切気にする様子がありません。ただ、アバターの姿だけに注目します。また、忍は触覚(ハプティック)スーツを身に付けていないため、行為中にどこを触られてもそれを実感することはできませんが、シノが実際に感じているように描写がされます。それが事前に設定されたエモートによるものだとしても、それらの描写は狩野忍から独立したシノというパーソナルの実在を感じさせます。

 そして、物語の終盤には遂に、「シノ」が「狩野忍」という存在から解き放たれ、自由に振る舞い始めます。それはマリカワとの決着をつけるためのチーム戦のさなかでした。負けてアカウントを失うことを考えてしまい、ピンチの状況でなかなか決断ができない忍でしたが、「ならばボクが代わりに言ってやろう(p.388)」というモノローグとともに、主人格が忍からシノに移り変わったかのように動き出します。その瞬間地の文も、シノ(忍)を中心とした三人称視点から、シノの一人称視点に代わりました。そこには確かに「狩野忍」ではなく「シノ」が存在していました。

 さらには、マリカワとの決着後に明かされたツユソラの正体は、VR世界の住人というものの、究極とも言える存在でした。

 このように彼女らは確かな存在感を示しながらも、同時にとても不安定な存在であることに代わりありません。2ALエリアで死ねばお終いというのはもちろんですが、何かのきっかけで運営からBANされる可能性は常にあり、なにより中の人が飽きてログインしなければそれまでです。だからこそ、彼ら彼女らは、その瞬間を全力で楽しむことが求められます。マリカワとのチーム戦で、シノと戦うためにシノを裏切ったフォロワーに対して、シノは次のように考えます。

 最後にハシモトは謝罪の言葉を口にしたが、謝る必要などなかった。スフィアでは殺しあうことも愛しあうことも、光のきらめき、ことばの交錯でしかなく、いいも悪いも罪も罰もない。ただきらめき、交わり、結び、解ける。うつろな器でしかすくえぬものが滔々と流れている。(p.379)

 サブライム・スフィアという空間にあっては、悪行も淫行も報いを受けるべき罪ではなく、ただ刹那の瞬間を自分らしく全力で楽しむことこそが、あるべき姿なのかもしれません。

 自らの欲望に忠実に、きれいの中を全力で駆け抜けたシノの物語はもう少し続きそうですが、その先に望んだツユソラとの未来は、非常にSFチックで美しいものだと感じました。

*1:何の略称かは本編を参照してください。