汗牛未充棟

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仮想世界を管理する人工知能が”神”となったとき、そこに”人間”は必要なのか――森博嗣『神はいつ問われるのか?』

 科学の発展により寿命を克服し不老不死を得た代わりに生殖能力を失った人類と、人間によって造られた人型"ウォーカロン"(いわゆる人造人間)、そして人工知能が共存する近未来世界を描いたWシリーズ。その続編となるWWシリーズ第2作が本書『神はいつ問われるのか?』である。

 

 

 今回の舞台はアリス・ワールドという名の仮想空間。娯楽の提供を主目的としたこのVRワールドで、突然のシステムダウンが発生する。
 どうやらシステムダウンはアリス・ワールドを司る人工知能によるものらしい。過去の実績を買われたグァトは、アリス・ワールドにログインし仮想世界の神ともいえる人工知能との対話を試みる。ところが現実世界でも不可解な現象に遭遇するグァト。はたしてどこまでが仮想世界なのか……。

 

 一般に仮想世界(VRワールド)や人工知能をテーマとする作品は、その存在が是か非か、人間との共存が可能かといった主題をおくように思える。
 その点W(W)シリーズは、それらが既に普及し、当たり前の存在となった世界を描く。作中ではアリス・ワールドからの強制ログアウトによって体調不良を訴えたり、中には自殺者まで出たと描写されている。その自殺者はそれほどの価値をその仮想世界に認めていたのだろう。主人公グァトは仮想世界について次のように語る。

 

ただ、ヴァーチャルは、いずれはリアルになるかもしれない。大勢が、ヴァーチャルこそ社会そのものだと認識すれば、簡単に逆転するだろう。(P.54-55)

 

 このような描写は著者自信の未来予想でもあるのかもしれない。実際著者のデビュー作である『すべてがFになる』(1996年)やその後の『有限と微小のパン』(1998年)の段階で既に作中にVRが登場し重要な役割を果たしている。そしてこのような技術を人間は受容できるのかという疑問もあるが、そのことについて次のように述べられている。

 

おそらく、一般の人はもっとヴァーチャルに慣れ親しんでいることだろう。今の多くの世代は、生まれながらにして、この架空世界で活動してきたのだから、現実が存在するのと同じくらい確かなものとして、第二の環境を受け入れているはずだ。(p.17)

 

 このように世代の交代によって、新たな技術が自然と社会に受け入れられていくことが示唆されている。

 

 もう一点、本書の魅力としてロジの行動について取り上げたい。冒頭でロジがグァトをVR上のドライブに誘うが、グァトにとってはそれほど面白くないだろうと予想したうえでの行為だった。以前の彼女であればグァトを誘うことはなかったかもしれない。しかし、自身の楽しみをグァトと共有したいという、一種の"押しつけがましさ"を表すようになったロジが非常に可愛らしいと感じた。

 

 

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